「今は戦争なんだ!」仲間を選ぶか母を選ぶか?~機動戦士ガンダム 第13話「再会、母よ・・・」感想
まさかの水着回!
セイラ「太陽の光が一ヶ所から来るってわざとらしいわね」
ミライ「でも、これが自然というものなのね」
セイラ「そうね。宇宙の広がりというのはこういうことを言うのよね、きっと」
セイラとミライの水着姿から始まる。まさかの水着回だ。2人の後ろのバッグにサンオイルが入っているところに制作者のちょっとした遊び心を窺わせるようで面白い。
セイラのサングラスはティアドロップ型でシャアのしているサングラスと同じデザインだ。さりげない描写だが、2人のつながりを示す演出である。
そのセイラとミライが日光浴をしながら「太陽の光が一ヶ所から来るのがわざとらしい」と話している。これはどういうことか。その謎を解明するヒントはコロニーの形状にある。
機動戦士ガンダムの世界で採用されているコロニーはシリンダー型のものである。
シリンダー型のコロニーでは、3枚の鏡がコロニー内部に太陽光を反射し日照量を調節する。コロニーに住む者にとっては、3つの鏡によって反射された光こそが太陽光であり、地球のように一方向から来る太陽は物珍しさを感じるようだ。
前回(第12話)の雷に対する反応然り、宇宙で暮らす人々の認識がさりげなく表現されることで、地球しか知らない我々に宇宙での暮らしを想像させる。
アムロはエリート族か?
カイ「ヘッ、裏切られたな。奴もエリート族かよ」
ミライ「地球に住んでる人がみんなエリートじゃないわ。現にアムロのお父さんは宇宙暮らしで、アムロはお母さんとはほとんど暮らしたことがないのよ」
カイ「地球に家があるだけでもエリートさ」
アムロは地球出身だったようだ。とすると、第8話のこの会話が引っかかる。
アムロ「もう引き返せませんよ。いいんですか?」
ペルシア「覚悟はできてます。どんな事があってもこの子を大地で育ててみたいんです。こんな気持ち、あなたにはわからないでしょうね」
アムロ「地球には住んだことはありませんから」(第8話)
設定が変わったとか単純ミスとかでないとすれば、第8話の時点でアムロはペルシアに嘘をついたということになる。
なぜ、ここでそんな嘘をつく必要があったのか。この点についてはまた別の機会に考えてみたい。
さて、「地球に住む者=エリート」という構図はここまで繰り返し示されてきた。
ブライト「宇宙に出たの」
セイラ「え?」
ブライト「初めてなんですよ」
セイラ「エリートでらっしゃったのね」(第3話)
前回(第12話)のギレンの演説でも「一握りのエリートが・・・」というくだりがあった。
ギレン「一握りのエリートが宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して五十余年、宇宙に住む我々が自由を要求して何度連邦に踏みにじられたかを思いおこすがいい。」(第12話)
カイはからかい半分に「地球に家があるだけでもエリートさ」といっている。
強制的に宇宙へ移住させられた人々がいる一方で、アムロの一家は宇宙で生活するか地球で生活するかを選べる状況にあった。
父テム・レイは連邦軍極秘のV作戦にも関与し、ガンダムを開発した人物である。普通に考えてエリート一家といってよいだろう。
また、今回アムロの生家が登場するが、そこには大きめの暖炉があったり、お皿や壺が飾られていたり、複数の絵画が掛けられていたり、ハンティングトロフィがあったりといかにもお金持ちといった雰囲気が漂う内装となっている。
アムロ一家はエリート一家でかなり暮らしぶりもよかったと考えられる。
テム「アムロと離れるのが嫌ならお前も来ればいいんだ」
カマリア「でも、宇宙に出るのは・・・」
テム「サイドの建設を見てごらん。そりゃ素晴らしいもんだよ。アムロに見せておきたいんだ」
カマリア「それはわかりますが、でもあたくしは・・・ごめんね、アムロ。私は宇宙の暮らしって馴染めなくって」
人形の視点からアムロの一家を描いている。見たところこのときのアムロは4~5歳だろうか。
現在のアムロの正確な年齢は不明だが、おそらくは10年ほど母親と離れ離れの生活を送っていたのだろう。
統制を失った連邦兵
おばさん「生き残った兵隊さんは本部から見捨てられちゃってね。仲間が助けに来ないもんだからあんな風になっちまって。やだねえ、戦争って」
アムロの生家の周辺も連邦軍とジオン軍の戦闘の前線だったのだろう。しかし連邦軍は壊滅、生き残った連邦兵は本部から見捨てられた。そのため完全に統制を失っており、酒をのんだり、民間人をいじめたりと刹那的な生活を送っている。
見捨てられた軍隊はここまで荒れるのかと思わされるが、これはアムロとて無縁ではない。ホワイトベースが落ちればアムロ達も同じようになるかもしれない。
ホワイトベースは連邦軍参謀本部と連絡が取れず、孤立した状態が続いている。リードも一時は「ホワイトベースを捨てよう」(第9話)と口にしてしまうくらい切羽詰まった状況だ。
死と隣り合わせの状況がいつまで続くかわからず、救援も来るかどうかわからない。この堕落した連邦兵はアムロ達の未来の姿かもしれないのだ。
老人、女性、子供ばかりの避難民
村人「ちょ、ちょっと待ってくれ」
アムロ「えっ?」
村人「あんた、軍人さんじゃろ?ここへ何しに来たか知らんがすぐにあの戦闘機を隠してくれんか?」
アムロ「なぜです?僕はただ」
村人「いやいや、あの山の向こうには敵の前線基地があってな、一日一回見回りに来るんじゃよ」
村人「それでなくても、もう敵にキャッチされたかもしれんのじゃ。用事ならそのあとでもよろしかろうが」
アムロ「わ、わかりました」
このシーンで注目すべきは、老人と女性と子供しかいないということである。
ホワイトベースの避難民も同様で、老人、けが人、幼い子供、女性しかいなかった。
若い戦える男性はすべて殺されたか、戦闘に駆り出され死んだかであろう。
母子の再会と戦争のリアル
アムロと母親の再会の感動のシーンだが、このシーンに「いいなあ」と呟く子供がいる。戦争で親を失った子だろう。
単純に母と子の感動の再会のシーンにしてもいいのにこういう境遇の子供を描くのは、戦争のリアルを描こうとしているからである。
また、こうした境遇の子がいることでアムロとカマリアの再会が奇跡的な出来事であることを強調している。
ギブミーチョコレート!
ジオン兵「ん、僕、飛行機知らないかい?おじさんにだけ教えてくれないかな」
子供「知るもんか!」
ジオン兵「憎まれたもんだな。チョコレートをやるよ」
子供「いらないやい、とうちゃんとかあちゃんをかえせ!!」
ジオン兵「おーこわ。ははは、チョコレートを貰いそこなったな、坊や」
終戦後の「ギブミーチョコレート」を彷彿とさせるシーンである。
こちらの動画ではアメリカ進駐軍の車両に群がる子供たちと、その子供たちに飴玉のようなお菓子を配っている米兵が映っている。
違うのは、動画では子供たちは米兵に群がるようにしてお菓子をねだっており、全く米兵に敵意を持っていないのに対して、アニメの子供はジオン兵に強烈な敵意を抱いている点である。
この場にいる人々は、ジオン軍によって大切な人を殺されてしまったというリアルな体験を有している。だからこその強烈な敵意と思われる。
アムロ、初めての発砲
接近してくるジオン兵にアムロが布団の中から発砲する。アムロが生身の人間を初めて撃ったシーンである。
その後、逃げるジオン兵に向けてアムロは一気呵成に合計8発の弾を撃ち尽くす。
第2話ではビームライフルでシャアやジオン兵に照準を合わせて撃とうとするが撃てないアムロが描かれていたが、人が変わったように撃ちまくっている。
震える手で銃をギリギリと握り続けるアムロ。自分を守るために無我夢中だったとはいえ、初めて人を撃ってしまったという現実に動揺している。
思春期の葛藤と子離れできない母親
カマリア「あ、あの人達だって子供もあるだろうに、それを鉄砲向けて撃つなんて。すさんだねえ」
アムロ「じ、じゃあ、母さんは僕がやられてもいいって言うのかい!!せ、戦争なんだよ!」
カマリア「そ、そうだけど。そうだけど人様に鉄砲を向けるなんて!」
アムロ「母さん、母さんは・・・僕を・・・愛してないの?」
カマリア「そんな、子供を愛さない母親がいるものかい!」
アムロ「嘘をつけ!」
カマリア「アムロ、私はおまえをこんな風に育てた覚えはないよ。昔のおまえに戻っておくれ」
アムロ「今は戦争なんだ!」
カマリア「なんて情けない子だろう!!」
カマリアとアムロが言い争っているが、全くかみ合っていない。
アムロは先制攻撃をしなければ自分が殺されてしまうと考え、発砲した。
しかし、カマリアは幼い頃の虫も殺せない思い出の中のアムロを目の前の現実のアムロに投影し、そのギャップに大きなショックを受けている。そして、アムロの行為を非難してしまう。
アムロは母親に自分のしていること(=相手を殺さなければ自分が殺されてしまう世界で生きること)を否定され、「母さんは僕を愛してないの?」と甘えたことを言う。
これは思春期特有の葛藤である。すなわち、親にまだまだ甘えたい、自分を肯定してほしいと思う一方、親からの干渉から自立して自分の納得する生き方をしていきたいという葛藤である。
他方、カマリアの問題性は「子離れ」ができていないことにある。カマリアはアムロの変貌ぶりを受け入れることができず、子を否定してしまう。つまり、子供の自主性を尊重することができずに、口うるさく干渉してしまうのだ。
カマリア「男手で育てたからかしら・・・あんな子じゃなかったのに。虫も殺せなかった子が・・・うぅ・・・」
カマリアはアムロが発砲するシーンを思い出しながら「あんな子じゃなかったのに」とつぶやく。
よく見るとカマリアの回想するアムロは毛布をパッと振り払いベッドの上に立って銃を撃っている。
しかし実際にはこんなシーンはない。アムロはベッドに寝た体勢で、毛布の中から接近するジオン兵を撃った。したがって、この回想シーンのアムロはあくまでもカマリアの頭の中にあるアムロの姿である。
記憶違いをしているというよりも、「虫も殺せなかった」アムロが発砲したことがあまりにもショックで、カマリアにはこういう風に見えてしまったということだろう。
アムロの「反抗」
ブライト「あんな地方の前進基地を叩く必要がどこにあるか。カイもカイだ。テストもしていないのに敵前でガンダムをドッキングさせたりして。単なる消耗戦だぞ。今の我々には自分の首を絞めるに等しい」
ジオン軍の前進基地を攻撃するガンダム。これまでガンダムで数々の戦闘行為を行ってきたアムロだが、これまでの戦闘と決定的に違うところがある。
ジオン側はモビルスーツが1機も出撃していない点だ。今回はモビルスーツvsモビルスーツという戦闘ではなく、モビルスーツvs生身の人間という構図になっている。
ビームライフルやバルカンで攻撃し、生身のジオン兵をなぎ倒していく。ジオン兵が吹っ飛ぶ様もはっきり描かれている。巨大なモビルスーツが小さな人間を攻撃するだけの虐殺行為である。
自分のしていることを母親に肯定してほしいというアムロの心の叫びが聞こえるようだ。アムロなりの母親への反抗なのだろう。ジオン兵にとってはいい迷惑だが。
仲間を選ぶか母を選ぶか?
カマリア「嫌なのかい?」
アムロ「嫌とかじゃないんだ。あそこには仲間がいるんだ」
ブライト「お母様でいらっしゃいますね?」
カマリア「アムロがお世話になっております」
ブライト「我々こそアムロ君のおかげで命拾いをさせてもらってます」
カマリア「そ、そんな・・・」
ブライト「いや、事実です。今日の彼の活躍も目覚しいものでした」
カマリア「まあ、そうですか・・・」
ブライト「アムロ君、どうするね?我々は出発するが」
アムロ「は、はい、こ、これからもお達者で、お母さん」
ブライト「失礼いたします。お子様をお預かりします」
カマリア「・・・アムロ」
このシーンの構図も実に巧みである。
一方はホワイトベースをバックにブライトとフラウボウ。もう一方は母親と車に乗った男性が描かれている。この男性の素性は描かれていないが、状況から推測するに母親の現在の恋人あるいはそれに近い人物だろう。
ホワイトベース、フラウボウは「仲間」や「自立」の象徴であり、母親は「親の庇護」「守られた世界」の象徴である。
このシーンでアムロは母親と地球で生きていくのか、それともホワイトベースに残るのかを選ぶ岐路に立たされた。
ブライト「アムロ君、どうするね?我々は出発するが」
アムロは母に向かって敬礼し、回れ右をしてホワイトベースに向かう。ブライトと全く同じ軍隊式の行動をとることでホワイトベースに乗ることを選んだのだ。
これはアムロが親の庇護から自立しようとすることを意味する。アムロが母親とではなく、ホワイトベースの仲間と生きていくことを決意した瞬間である。
アムロの敬礼を見てカマリアは驚く。説得すれば自分と一緒に生活してくれるのではないかと思っていたのだろう。アムロが「あちら側の世界」に去って行ってしまったような感覚にとらわれたはずだ。
親から離れ自立しようとするアムロに対し、カマリアは子離れできていない。最後に泣き崩れるのもそのせいである。
第13話の感想
今回はアムロの思春期の成長を描いた回であった。
思春期とは「親に甘えたい」「依存したい」という一方で、「親から干渉されたくない」「自立したい」という相容れない葛藤の狭間で思い悩む時期である。
そうした悩みの中から人間関係を学び、成長し、大人になっていくのだ。アムロはその真っ只中にある。
思い出の我が家にやってきたアムロは、母親に会える嬉しさから思わず駆け出す。その表情は母親に会える喜びで満ちている。
他方、ジオン兵を銃で撃ったあと母親と言い争いになる場面では、親から自立して自分の考えに基づいた行動をしたいというアムロの考えがはっきりと描かれている。
親への甘えと親からの自立という思春期の葛藤を実に巧みに表現している。
その後、親への反発から、ろくに訓練もしていないガンダムの空中換装という無謀な行為に走ってしまうし、ガンダムで攻撃する価値もない敵基地を破壊しようとしてしまう。
ブライトの言う通りこれは自分の首を絞めるに等しい行為だ。
こうした危険で破滅的な行動に出てしまうのは、アムロ自身自分でもどうしたらいいかわからない不安感にとらわれており、そこから逃れようとしているためである。
いわばアムロは「盗んだバイクで走り出」してしまったのだ。
他方、敬礼をして去っていくアムロを見ながらカマリアはその場に崩れ落ち、泣き始める。
変わってしまったアムロ、あるいは変わろうと努力しているアムロを受け入れることができず、最後の最後まで子離れできなかった。
子供向けのロボットアニメなんだから、もっと単純に「アムロや、地球のために頑張っておくれ」、「ありがとう母さん!よーし、ガンダム発進!」的な物語にしてもよかったろうに、ここまで重苦しいストーリーにしたのはなぜか。
それは「機動戦士ガンダム」がアムロの成長物語だからに他ならない。
リアルな戦争を描き、その中で状況に翻弄されつつも成長していく主人公を描くことがこの物語の主題だからである。
ラストシーン、金色に輝く夕日の中をホワイトベースが飛ぶ様はとても美しく、それだけに母親の悲しみの大きさを思わせるシーンにもなっている。
今回も重厚で分析しがいのある回だった。
第8話でアムロがペルシア親子に嘘をついた点など新たな謎もでてきたし、そこについても別稿をで検討してみたい。
ランバ・ラル登場!ガルマを死に追いやったシャアの苦悩!~機動戦士ガンダム 第12話「ジオンの脅威」感想
レームダックのデギン
ガルマ「二ヶ月ほどの内に一度ジオンに帰ります。ですが父上、その前に必ず一つ大戦果を上げてご覧にいれますよ。親の七光りで将校だ元帥だなどと国民に笑われたくはありませんからね。では、お目にかかる日を楽しみにしております」
キシリア「まだこんな所にいらっしゃったのですか。閣下のお気持ちはお察しいたしますが、公王としてのお立場ゆえ、お役目だけは果たしていただき」
デギン「わかっておる」
家族で落ち着いてガルマの冥福を祈りたかったデギン。もうすぐ国葬が始まるのに一人自室でいつまでもガルマの思い出に浸っている。
キシリアの「閣下のお気持ちはお察しいたします」と言っているが、どこまで気持ちを汲んでいるかは推して知るべしだろう。
冒頭ナレーションで「デギン・ザビ公王はその実権を長男のギレン・ザビに譲り渡して開戦に踏み切った。」とあるように、デギンは公王として君臨しているけれども、実際の采配はギレンが行っている。もはやデギンはレームダック化してしまっている。
キシリアの言葉もとらえようによっては強烈だ。「公王としてのお立場ゆえ、お役目だけは」という言葉は「形式上公王の地位にあるのだから役目だけは果たしてくれ」という、デギンその人ではなく公王という立場にしか期待していないかのような発言である。
キシリアの言葉を遮るように「わかっておる」というデギンは、ザビ家内のパワーバランスの変化と自分自身のふがいなさ、無力感に苛まれているようだ。
ランバ・ラル登場!
ラル「面白いものとはなんだ?」
クランプ「は、我が軍の識別表にない戦艦をキャッチしたのであります」
ラル「ほう、見せろ」
クランプ「例の木馬だと思われます」
ラル「うん」
ハモン「ガルマ様の仇を討つチャンスという訳ですか」
ラル「そう急ぐな、ハモン。奴の地点は我々の基地からはかなりの距離だ。航続距離を計算に入れなければな」
クランプ「このザンジバルなら問題ありませんが、ほかのはただの大気圏突入カプセルですから」
ラル「そういうことだ」
ハモン「では、このまま見過ごすおつもりですか?」
ラル「フフフフ、私の任務はガルマ様の仇討ちだ。ドズル中将からじきじきの命令をなんでやり過ごすものかよ」
ハモン「でも、只今は大気圏に突入している途中です。ご無理を」
ラル「しかし手出しをせずに行き過ぎる男なぞ、お前は嫌いなはずだったな」
ランバ・ラルの初登場である。
ランバ・ラルが軍人なのはわかる。ハモンはいったい何者なのか。会話や行動から推察するにランバ・ラルの内妻であろうが、それにしては軍服を着ていない。その辺りの設定は後々語られるのであろう。
しかし、ランバ・ラルとハモンのやりとりが実に大人っぽい。
最初見たときはランバ・ラルが愛人を戦地に同行させているのかと思ったが、ハモンの身のこなしを見ているとすぐにそうではないということがわかる。
ブリッジに入ってくるとき、まずハモンが先に入室し、サッと横によけて、ランバ・ラルを迎えている。相当な教養のある人でなければこうしたレディファーストの行動をさりげなくこなすことはできない。
また、ランバ・ラルの肩で2人がそっと手を重ねる描写も2人の絶対的な信頼関係を余すところなく表している。
さて、状況を確認すると、ドズルの命令でガルマの敵討ちのために地球にやってきたランバ・ラル、戦艦ザンジバルで大気圏に突入中である。そのとき、さっそくホワイトベースを捕捉した。
コムサイ2機も連れていることから、焦らず航続距離を計算するところなど、手練れという雰囲気を醸している。
ドズルからの直々の命令ということでやる気も十分だ。
ランバ・ラルが一筋縄ではいかない存在だということが存分に伝わってくる。
今後、強敵としてアムロの前に立ちはだかることだろう。
精神的に参ってしまったアムロ
暗い部屋にへたり込んで機械をいじるアムロ。窓からの光がアムロを照らしている。
フラウボウの問いかけにもぼんやりと返答するだけ。食事するときも目の焦点が合っておらず、精神的に相当参っていることが窺える。
機械を一心不乱にいじっているのも現実逃避だろう。
余裕のないブライト
セイラ「メインエンジンの3番ノズルが表示より2パーセント推力不足ですけど」
ブライト「実数値にしてどの程度だ?」
セイラ「およそ40トン」
ブライト「なんでそんなになるまで放っておいたんだ!」
ミライ「碌に整備する暇も取れないのを無理して・・・」
カツ、レツ、キッカ「わあーい!」
ブライト「ここは遊び場じゃないんだぞ!出て行け!」
メインエンジンの整備不良が判明。ブライトが周囲に「なんでそんなになるまで放っておいたんだ!」と当たってしまう。
ブリッジにやってきたカツ・レツ・キッカに怒鳴りつける様はリードと全く同じである。ブライトに余裕がなくなってきている。
リード「ええい、やめないか、騒がしい!」
キッカ「・・・うわわああぁぁぁ!」(第6話)
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ブライトが自室に控えて椅子にどかっと座る。
光の当たり方や構図は先程のアムロと全く一緒だ。アムロと同様、ブライトも疲れ果てていることをあらわしている。
ブライト「どうぞ。なんだい?」
ミライ「別に」
ブライト「わかっているよ、言いたい事は」
ミライ「でしょうね。あなたが中心になる以外ないし、みんな頼りにしているんだから」
ブライト「とも思えんが。」
部屋にやってきたミライに、ブライトが「わかっているよ、言いたいことは」とつぶやく。「クルーはみんな素人なんだから…」といった類のお小言をミライは言いに来たと言いたいのだろう。
しかしミライは「みんな頼りにしてる」という激励の言葉をかける。
ここで「怒鳴るな」とか「子供なんだから優しくしろ」とかといった小言を一切いわず、みんな応援してるよとさりげなく伝えるところが素晴らしい。
ホワイトベース内で一番人間ができているのはミライである。
シャアの扱い
前回左遷されたシャアについて、ザビ家の対応がそれぞれで面白い。
ギレンは態度からしてシャア自体にあまり興味がなさそうだ。
ドズルはシャアのことを聞かれても答えようともしない。ガルマを守りきれなかったシャアのことを許せず、その名を口にすることすらはばかるといった様子だ。ドズルはシャアのことを二度と用いることはないだろう。
キシリアはシャアにはまだ利用価値があると考えている様子だ。部下に何やら指示している。今回の最後でシャアに接触しているので、今後シャアはキシリアの下で動くことになるのだろう。
雷初体験のみなさん
カツ、レツ、キッカ「ああっ」
カツ「なな、なんだい?今のは?」
フラウ「ジ、ジオンの新兵器かしら?大丈夫よ。どんな新兵器が来てもガンダムが防いでくれる」・・・
ジオン兵「た、大尉、連邦軍の新兵器です」
ラル「うろたえるな!これが地球の雷というものだ」
ジオン・連邦お互いに雷を相手の新兵器と考える描写が面白い。
こういうシーンが入ることで、宇宙のコロニーしか知らない人がいるということを思い起こさせてくれる。
アムロは雷を見ながら、前回のイセリナを思い出している。トラウマになっているのだろう。
前半パートではアムロの症状を丁寧に描いている。
暗い部屋でボーッとしたり、会話がたどたどしかったり、目の焦点が合ってなかったり、トラウマのシーンがフラッシュバックしたり、ヘルメットをかぶって苦しいと訴えたりと、40年前のアニメとは思えないくらいに実にリアルだ。
新型モビルスーツ-グフ
ラル「アコース、コズン、用意はいいか?」
アコース「はい中尉!」
コズン「準備OKです!」
ラル「アコース、コズン、我々が地球で戦うのは初めてだ。敵のモビルスーツが出てきても深追いはするな」
アコース「了解!」
コズン「了解!」
ラル「ハモン、行ってくる」
ハモン「戦果を期待します」
ラル「ハハハハハ、あせるなよ、ハモン」
ジオンの新型モビルスーツグフの初登場である。
ロボットアニメといえば、毎回違った敵ロボットが登場し対決するという演出が一般的だった。
動戦士ガンダムでは第12話でようやく新キャラの登場である。リアル路線を徹底的に行こうという製作側の意気込みを感じるところである。
ところで今回のランバ・ラルの戦闘目的は何だろうか。
「深追いはするな」といっているところや「戦果を期待します」というハモンに「焦るなよ」といっているところからすると、様子見と考えてよいだろう。
コムサイ2機も航続距離の問題から早々に戦線を離脱しているので、ホワイトベースを撃墜することまでは考えてないと思われる。
なお、このシーンでアコースがランバ・ラルのことを「中尉」と呼んでいるが、単純なミスであろう。
ザクとは違うグフ
グフとガンダムの初対決だ。
ラル「ザクとは違うのだよ、ザクとは!」
このシーンはかなりカッコいい。これまでのザクならガンダムのビームサーベルでやられてしまっていたところだろう。
しかし性能においてザクを超えるグフは簡単にやられないというところが描かれている。
続くシーンでのランバ・ラルの後退の仕方も見事だ。
グフとザク2機が後退したところにザンジバルが援護射撃をしながら降下。その間にグフとザクを収艦している。
戦い慣れしている感が存分に出ている。
ハモンも、ただランバ・ラルについてきただけの内妻かと思っていたら、ジオン兵に的確に指示し戦線から撤退している。
ジオン側の軍隊としての連携行動は相変わらず見ていて気持ちいい。
シャアは後悔している?
ギレン「我々は一人の英雄を失った。しかし、これは敗北を意味するのか?否、始まりなのだ!地球連邦に比べ我がジオンの国力は30分の1以下である。にもかかわらず、今日まで戦い抜いてこられたのはなぜか?諸君!我がジオン公国の戦争目的が正しいからだ!!一握りのエリートが宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して五十余年、宇宙に住む我々が自由を要求して何度連邦に踏みにじられたかを思いおこすがいい。ジオン公国の掲げる人類一人一人の自由の為の戦いを神が見捨てる訳はない。私の弟、諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ!なぜだ!?」
シャア「坊やだからさ」
コップを指でトントンしながら演説を聞くシャア。第11話でデギンも杖で同じ仕草をしていた。
シーンの意味としては同じと考えて良いだろう。ここで表現されているのは「フラストレーション」である。
あの時デギンはガルマの葬送方法をめぐってギレンと対立し「なぜ家族葬じゃだめなんだ。ギレンはどうして理解しないんだ。」とイライラしていた。シャアもガルマの国葬を見ながらフラストレーションがたまっているのだ。
ではシャアは何にイライラしているのか。
第10話で、ガルマをはめたシャアは「君はいい友人であった」と言っている。
シャア「フフフフ、ガルマ、聞こえていたら君の生まれの不幸を呪うがいい」
ガルマ「なに?不幸だと?」
シャア「そう、不幸だ」
ガルマ「シャ、シャア、お前は?」
シャア「君はいい友人であったが、君の父上がいけないのだよ。フフフフ、ハハハハハ」
ガルマ「・・・シャア、謀ったな。シャア!!」(第10話)
口に出してしまった意味は大きい。
シャアは、ザビ家への復讐のためにガルマをいいように利用しよう、ホワイトベースとの戦いの中でガルマを亡きものにしようと企て、実行し、成功した。
しかし、シャアは最後の最後で「よい友人であった」と口にしてしまった。利用するだけ利用して殺してやろうと思っていた相手に友情を感じていたのだ。
おそらくシャアはその友情に自分では気づいていなかったのだろう。「よい友人であった」というセリフは作戦が決まったシャアが一瞬油断したすきに表に出て来てしまったシャアの本心である。
シャアはガルマを死に至らしめたことを心のどこかで後悔している。シャアもそのことに気づきつつある。
しかし、こうした本心をシャアは認めるわけにはいかない。だから「坊やだからさ」と言い捨てた。
「あいつは坊やだから死んだんだ」、「自分が手を下さなくても遅かれ早かれいつか戦争の中で死ぬ運命にあったんだ」と自己正当化するような言い訳をしなければならなかったのは、認めたくない自分の本心(=良き友であるガルマを殺したことを後悔していること)に気づきつつあるシャアが自らの心にむりやり蓋をするために他ならない。
ブライトが言い返す
ギレンの演説をみてクルーたちは圧倒され一様に押し黙っている。
しかし一人ブライトが「何をいうか!」と言い返す。一言だけだが言い返すことが大事なのだ。
前半パートでミライに「みんな頼りにしている」と言われ、自信なさげに「とも思えんが」と反応していたブライト。本人に自覚はなさそうだが、ホワイトベースの空気を作っているのはブライトである。
クルー達が圧倒される中「自分たちのリーダーが言い返してくれた」と思えることがホワイトベース内の士気を高めるのだ。
ブライトが何も考えず言い返したのか、クルーの顔色やブリッジの空気を読んで言い返したのかはわからないが、いずれにせよクルー達にとってブライトは頼れる艦長になりつつある。
第12話の感想
ギレンの演説によって戦況がより詳しく明らかになった。ここまで断片的に示されてきていたジオンの戦争目的も説明されている。
ジオンの国力が連邦の30分の1しかないとすれば、長期戦は絶対的にジオン側が不利である。
したがって、ジオン側は速攻で連邦軍を無力化して、講和を結び、独立国として国家承認させることになるだろう。
そのためにコロニーを落とすという非人道的な手段を取った。ジオンとしてはここで勝負を付けたかったはずだ。
しかし、予想に反して地球連邦軍が粘り、戦争は泥沼化。ゲリラも跋扈し始める始末。ジオン側にも厭戦気分が蔓延しつつある。
他方、連邦軍は新型モビルスーツを開発して巻き返してきたというのが現時点での戦況だ。
しかし、こうしてみてみるとジオン側が戦争に勝利することは現時点でかなり難しくなっていると言ってよい。
今回ランバ・ラルとハモンが登場した。この2人の醸し出す大変大人な雰囲気がちびっ子向けアニメに大変似つかわしくない。今後も要チェックである。
シャアの「坊やだからさ」の分析を試みた。ガルマの死がシャアにとってここまで大きいものだったとは驚きである。このあともガルマは亡霊のようにシャアに付きまとうのではないか。
ともあれ今回は「ザクとは違うのだよ、ザクとは」や「坊やだからさ」といったガンダム名ゼリフも盛りだくさんでとても楽しめる回であった。
グフとガンダムの対決も楽しみである。
「ガルマ様の仇!」イセリナの悲しき恋の結末~機動戦士ガンダム 第11話「イセリナ、恋のあと」感想
冒頭ナレーションの説明
ナレーション「月のむこう、地球から最も離れた宇宙空間に数十の宇宙都市が浮かぶ。これこそ地球を自らの独裁によって治めようとするザビ家の支配する宇宙都市国家、ジオンである。この宇宙に浮かぶ円筒形の建造物の中に人々の生活空間がある。すなわち、円筒形の直径は6キロメートルあまり、長さにいたっては30キロメートル以上ある。その中には人工の自然が作られて、人々は地球上とまったく同じ生活を営んでいた。今、ジオン軍宇宙攻撃軍司令ドズル・ザビ中将が前線基地から帰国する」
サイド3の位置について、月の向こう側にあり地球から最も離れているとの説明がある。この説明の構図もかなりいい。
これまで第1話冒頭と、第4話冒頭の位置関係の説明の構図について書いたが、そちらに負けず劣らずかっこいい構図である。
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また、冒頭ナレーションではコロニーの形状の説明がなされている。
第1話の感想で、コロニーの形状に関し、ウィキペディアを引用しながら直径4マイル(6.4 km)、長さ20マイル(32 km)と書いた。
やはりシリンダー型のコロニーが元ネタだったようだ。
ナレーター「ここはジオン公国の首都、ズム・シティ」
リアル路線の「機動戦士ガンダム」でこの建物のデザインはなかなかとんがっている。いかにも「悪の親玉の秘密基地」といったテイストだ。
冒頭ナレーションの「地球を自らの独裁によって治めようとするザビ家の支配する宇宙都市国家、ジオンである。」という説明も、「悪の敵ジオンvs正義の味方連邦軍」という単純な対立構造を提示するものだ。
「ちびっ子たちにもわかりやすいストーリーを」という配慮なのかもしれないが、「機動戦士ガンダム」のストーリーはそんな単純な対立構造で記述できるものではない。
この辺は演出としてあまり成功しているとはいえないと思われる。
ザビ家の人々によるガルマ評
ギレン「ガルマの死を無駄にするわけには参りません。ザビ家末代の沽券にかかわります」
デギン「ギレン、わしはただガルマの死を」
キシリア「残念です。あのガルマが連邦軍のモビルスーツの前に倒れたと」
ドズル「あ、兄貴、俺はまだ信じられん。今にもあいつが顔を出すんじゃないかと」
ギレン「過去を思いやっても戦いには勝てんぞ、ドズル」
ドズル「しかし、あやつこそ俺さえも使いこなしてくれる将軍にもなろうと楽しみにもしておったものを」
デギン「ドズルの言う通りだ。だからだ、ギレン、静かに丁重に、ガルマの冥福を祈ってやってくれまいか」
ザビ家内でのガルマの評価はそこそこ高そうだ。とくにドズルは将来性を高く評価していることが窺える。
ガルマのことをただのおぼっちゃんと考えるのなら、「あやつこそ俺さえも使いこなしてくれる将軍にもなろうと楽しみにもしておったものを」というドズルはただのブラコン野郎ということになる。
しかし、前回述べたようにガルマはただのおぼっちゃんではない。
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ジオンを純粋に思う様は部下たちから信頼され、愛されていた。今回、イセリナや部下から自然と「仇討ちを」という声があがっているのもガルマの人を惹きつける魅力のなせるわざだ。
ドズルはそうしたガルマの気質を見抜き、ゆくゆくは自分をも使いこなしてくれるような偉大な指導者になることを期待していた。だからこその発言だろう。
国葬か家族葬か
国威発揚のためにガルマの葬儀を大々的に行いたいギレンとこぢんまりと家族葬にしたいデギンの意見が食い違う。
ギレンは戦争に勝つためにガルマの死を利用しようとしている。シャアと同じような冷徹さを感じさせるギレンだが、もちろんギレンとてガルマの死を悲しんでいないわけではないだろう。ギレンは戦争という現実を直視して勝つための方策を常に考える現実主義者なのだ。
泣かないイセリナ
ダロタ「ここがガルマ様のお使いになったお部屋でございます。さぞ、ご無念でございましょう。しかし、このままでは済ませません。イセリナ様。我々は必ず」
イセリナ「ダロタ中尉」
ダロタ「はっ」
イセリナ「わたくしをガウに乗せてください」
ダロタ「イセリナ様!」
イセリナ「ガルマ様を殺した憎い敵、せめて、せめて一矢なりとも報いたいのです」
ダロタ「いやしかし、それは・・・」
イセリナ「ダロタ中尉!」
前回第10話ではとにかく泣くだけだったイセリナだが、今回は泣かない。険しい表情で自らガウに搭乗したいと申し出るあたり、初めから覚悟を決めているのだろう。
ガルマの肖像画を前にしても泣き崩れたりしない。
部下の兵士達がガルマの敵討ちを志願し、イセリナも「ガウのに乗せてほしい」と申し出るあたり、やはりガルマは部下からの信頼を得ていた。こうしたところにもそれが現れている。全てガルマの人柄のなせるわざだろう。
新兵器ービームジャベリン!
リュウ「わかったかい?」
アムロ「はい。安全弁が内蔵されていてジャベリンにならなかったんです」
リュウ「ほお、お前どっちかっていうと技術者向きなんだな」
アムロ「そうですか?」
今回は新しい武器としてビームジャベリンが登場するようだ。
これまで出てこなかった理由を説明している。
毎度毎度思うが「機動戦士ガンダム」はこのあたりの描写が実に丁寧である。
エンジン不調のホワイトベース
ミライ「エンジンの調子よくないのよ。ブライト、不時着でもしたら?」
ブライト「連邦軍の制空権内まであと一息なんだ。救援隊が来てくれるかもしれない」
ホワイトベースのエンジンの調子が良くない。
第7話でも、エンジンの不調で宇宙空間へ避難することができず、そのためにコアファイターを弾道軌道で射出する作戦に出た。
また、第9話ではガルマ機がホワイトベースの左エンジンにミサイルを着弾させている。ガルマの攻撃が今になって効いてきているのであれば運命的な巡り合わせである。
ガウvsガンダム・ガンキャノン
ジオン兵「うわっ!」
ガンダムがガウの方向舵をグイッと動かすと操縦席の操舵輪が連動してジオン兵がこける。とてもとても面白いシーンだ。
ガウが同士撃ちによって一機が墜落、大爆発を起こす。このシーンはかなり時間を割いて丁寧に描かれている。このシーンがあることで、後ほどホワイトベースが同じように操縦不能になるシーンの緊迫感が生まれるわけだ。
シャア登場!
イセリナ「戦闘機はないのですか?」
ダロタ「ざ、残念ながら。この数回の戦いで実戦に出られるものは・・・お、あれは」
シャア「こちらシャアだ。手を貸すぞ」
シャア「私は木馬を攻撃する。そこを突いて一気にケリをつけるんだ。(ガルマを戦死させた責任、ドズル中将への忠誠、どう取られても損はないからな)」
イセリナが「戦闘機はないのですか」といったところで、タイミングよくシャアの登場だ。
ガルマの死の真相を知っている視聴者にしてみればどの面下げてとなるところだが、ジオン兵とってはこれ以上ない頼もしい助っ人だろう。
しかし、当のシャア本人にはガルマの仇討ちをしようなどという考えはあろうはずもない。なんせ自分が罠にはめて死に追いやったんだから。
シャアの目的はあくまでもホワイトベースとガンダムの鹵獲である。ホワイトベースはジオンの制空圏を突破し、もうすぐ連邦軍の制空圏へ入ってしまう。シャアにとっておそらく最後のチャンスだ。
ガウ3機が攻撃を仕掛けたのをみて、一緒に出撃すればホワイトベースを撃墜できるかもしれないと考えたのだろう。
そのことについて、「なるほど、シャアはガルマを戦死させた責任を感じ、弔い合戦に参戦したんだな」ととられても、「なるほど、ガルマの兄であり、直属の上司でもあるドズル中将に対する忠誠を尽くそうとしているんだな」ととられても、どっちでも自分に損はない。だったらこのチャンスをみすみす見逃す手はない。
どこまでも冷徹で狡猾な男である。
やはりダメダメな連邦軍参謀本部
セイラ「連邦軍から入電です」
ブライト「なんだと?参謀本部の連絡会議で揉めている」
セイラ「援軍は望めそうもありませんね。マチルダのミデアを寄越した事も問題になってるくらいだから」
ブライト「なぜだ?我々がどうなってもいいというのか?」
セイラ「まだ電文はありますよ」
ブライト「避難民収容の準備あり。・・・S109、N23ポイントへ向かわれたし。ミライ、進路1.5度変進だ」
ミライ「はい」
第9話で、「ホワイトベースは敵の戦線を突破して海に脱出することを望む。」とだけよこした連邦軍参謀本部。憤慨しつつもその指示通りホワイトベースはガルマの編隊を撃退し、ジオンの制空圏を突破した。
ようやく援軍が来てくれるはずと思っていたら「参謀本部の連絡会議で揉めている」という愚にもつかない電文がやってくる始末。
レビルの命令でマチルダのミデア輸送機がホワイトベースの補給等を行ったが、そのことも問題となっているという。
「避難民については収容の準備がある」との電文をみて、ブライトが半ば絶句しつつミライに進路変更を指示する。
ホワイトベースの窮状を理解できていないのか、いったい連邦軍参謀本部はどうなっているのか、はたまた連邦軍はこんなことで戦争を続けていけるのか。ダメダメな連邦軍参謀本部は健在である。
ホワイトベース墜落!?
マーカー「うわっ、やられました。左舷後部です」
ミライ「駄目だわ、ターンの切り替えが効かない。操縦不能」
シャアが狙ったのも左エンジン、ガルマと同じ位置である。この攻撃によってホワイトベースは操縦不能に陥ってしまう。このまま墜落してしまうのか!?
先程ガウが墜落・大爆発を起こすシーンを丁寧に描いた効果がここで発揮される。同じ状況にあるホワイトベースの危機がちびっ子たちにも分かりやすく提示されるわけだ。
煙を引くホワイトベースが雲に隠れたタイミングで前半パート終了。
当時見ていたちびっ子はホワイトベースはどうなってしまうのか、ハラハラドキドキしながらCMの時間を過ごしたはずだ。
ネトフリで見ている自分にはわからない境地である。
避難民が勝手に下船!
セイラ「ブライト!ブライト!避難民の何人かが勝手に船の外に出ました」
ブライト「なに!」
ミライの腕かホワイトベースの性能のおかげか、不時着したホワイトベース、墜落は免れた。エンジンの応急修理も終わり、連邦軍の制空圏まで逃げようとしたこのタイミングで避難民が外に出てしまった。
ホワイトベースが不時着したのは砂漠の戦場である。しかも近くに民家や町らしきものも見当たらない。ガウも接近中だ。そんなところで下船したとして生きていける保証はない。
それでも避難民が下船したかったのは、ホワイトベース内での生活が心底嫌になっていたこともあろが、二度と戻れないと思っていた地球の大地をもう一度踏めるという高揚感、早く外に出たいという焦燥感のせいだろう。
真っ先に飛び出した避難民数名は直後にシャアに銃撃され死んでしまうが、最期の最期に地球の大地を踏みしめることができてそれなりによかったのかもしれない・・・ということにしておこう。
もめるザビ家
デギン「ガルマの死を我が王家だけで悼むのがなぜいけない?」
ギレン「父上、今は戦時下ですぞ。国民の戦意高揚をより確かものにする為にも国を挙げての国葬こそもっともふさわしいはず。ガルマの死は一人ガルマ自身のものではない、ジオン公国のものなのです」
キシリア「私はギレンに賛成です」
ドズル「いや、それよりもシャアの処分だ。ガルマを守りきれなかった奴を処分すれば、それで国民への示しがつくわ!」
キシリア「そのような事はあなたの権限で行えばよろしいこと。大切なことは儀式なのですよ、父上」
ギレン「ガルマは国民に大変人気があったのです。彼の国葬を行う事によって国民の地球連邦への憎しみをかきたてることこそ、肝要ではないのですかな?・・・父上!」
デギン「シャアのことはドズル、左遷させておけ」
ギレン「父上、ジオン公国の公王として今ここで御決済を!」
ギレンと意見が食い違いイライラしているデギン。杖の装飾を指でトントンする描写でそれを表している。
ギレンとキシリアは国葬をすべしと進言する。デギンは家族葬を希望する。
他方、ドズルはガルマの弔いよりも、ガルマを守りきれなかったシャアの処分を考えている。ドズル一人だけ話が噛み合っていない。キシリアに「お前の部下なんだからお前が勝手にやればいい」とけんもほろろに言われてしまう始末だ。
ギレンは戦意高揚のために国葬にすべしという。これはギレンの危機感の表れなのかもしれない。
戦争が始まって約9か月。ここまで有利に戦況を進めるジオン軍だが、疲れも見え始めている。
シャア「パプア補給艦?あんな老朽艦では十分な補給物資は」
ドズル「現状を考えるんだ」
シャア「しかし」
ドズル「十分な戦力で戦える昔とは違うんだぞ。」(第3話)
ジオン公国の国民や兵士の中に厭戦気分が蔓延していてもおかしくはない。戦争を開始したザビ家に対し不満を持つ者も多数いることだろう。
そうした状況下で、国民に人気のあったガルマが連邦軍との戦闘によって殺されたとなれば、戦意高揚の絶好のチャンスである。同時に国民の不満を連邦政府に向けさせることもできる。
キシリアもギレンに賛同し、「大切なことは儀式なのです」という。
ここでキシリアが「儀式」という言葉を使っているのは実に示唆的である。
儀礼が「日常生活の中の言語や通常の技術的道具などでは表し伝ええない、社会の連帯といった価値や、結婚・死といった重大なる事件を明確に表現し、心に強く刻みこむ働きを持つ」ということである。(儀礼ーWikipedia)
ガルマの死で戦意高揚を狙うのに国葬という大がかりなことをわざわざしなくても、との考えもあろう。
しかし、「儀式」という形式を用いることで単に「ガルマが死にました」「責任者シャアを処分しました」とアナウンスするだけでは伝わらない、連帯感や同胞意識などを醸成することができる。
人々は「儀式」を通じて「我々は目的を同じくする仲間だ」と再認識するのだ。儀式は大切なのである。
そして、こうした連帯感や同胞意識こそ戦時下には(特に為政者にとって)不可欠のものであり、苦境に立たされつつあるジオンの命運を左右するのだ。
イセリナの特攻
ガンダム、ガンキャノン、ガンタンクと戦闘するガウだが、あえなく撃沈。しかし、イセリナもガルマ同様自ら操縦桿を握り、ガンダムに特攻を仕掛ける。
ガウがガンダムに迫る様は、前回第10話でガルマの行った特攻と全く同じ構図で描かれている。二人の想いを表現しているようでとても印象的なシーンだ。
イセリナがアムロに銃口を向ける。このまま発砲するのかと思ったら空に向かって1回発射し、そのまま身を投げた。これは撃ち損じたとか、バランスを崩して滑落したとかといったものではない。もちろん第2話で述べたような「戦場で人を撃てるか」といった類の話でもない。
明かな自殺である。
前回第10話と今回は、ジオン公国を憎むエッシェンバッハの娘イセリナが、戦場の露と消えたジオン公国公王の末弟ガルマの後を追って、自らも仇敵の目の前で命を絶つという、二人の恋の終焉を描いた悲劇の物語なのだ。
「まだ来るのか」
アムロとガウが対峙するシーンでアムロが「まだ来るのか」と不思議がる場面がある。
アムロ「まだ来るのか・・・。ま、まだ来るのか・・・」
もう勝敗はついた。にもかかわらずなおも攻撃を続けるガウ。バルカンを撃っても、新兵器ビームジャベリンを投擲してもガウは攻撃をやめない。クルーが逃げ出す様子もない。
アムロもガウの攻撃方法がいつもと違うことに気づき「(もう勝敗は決したのに、逃げずに)まだ来るのか」と不思議がっている。
アムロが不思議がるのも無理はない。これは軍隊による軍事行動ではなく後追い自殺なのだから。
戦場で人を殺すということ
誰かに敵意を向けられるというのは本当に精神的に疲弊する。
戦争を続けることは誰かを殺すということであり、誰かから恨みを買うということである。その人は名前も素性も知らないどこかの誰かであるが、確実に自分のことは知っていて、強烈な敵意を抱いている。
それが報復を呼び、それがさらなる報復につながっていく。そんな敵を数多く作ってしまうのが戦争なのだ。
アムロとてこのサイクルから自由なわけではない。第1話でアムロがガンダムに乗りこんだのは、ジオンに対する憎しみ、恨み、敵意という要素もあったことは確実だ。この意味で、今回イセリナの取った行動はかつてアムロがとった行動と全く同じである。
そして、今はアムロが恨まれる順番にあるというだけのことだ。
第11話の感想
第8話「戦場は荒野」と同様、本回でも戦争が人々の憎しみをかきたて、報復を呼び、それがさらなる憎しみにつながっていくという戦争のリアルが描かれている。とても重苦しく、つらい現実だ。
そんな中で、ガルマとイセリナの境遇や恋模様、ガルマの死とイセリナの特攻は、何かシェイクスピアの悲劇を思わせる重厚な演出だった。
ガルマの死をめぐるザビ家内の対立も実にリアルである。ザビ家も一枚岩ではなく、意見の対立がある。こうした細かな演出がのちのち効いてくるはずだ。
避難民を引き取ってもらい身軽になったホワイトベースだが、連邦軍参謀本部からの明確な指示がない中、今後どのような行動に出るのか。
果たしてホワイトベースの運命は!?
シャアの陰謀に散る!ガルマは「おぼっちゃん」だったのか?~機動戦士ガンダム 第10話「ガルマ散る」感想
上流階級の社交の場
男「時に、お父上のデギン公王には地球においでになるご予定は?」
ガルマ「聞いてはおりません」
男「おいでの節は是非なにとぞよしなに」
会場にはジオンの威勢を誇示するようにデギンの肖像画も掲げられている。
戦争後は荒廃した地球をどう復興するかがジオンの中心的なお仕事になる。そのためには地球の上流階級のお金持ちとのつながりも欠かせない。こうした地球の上流階級からの協力とお金を引き出すこともガルマのお仕事らしい。
しかし、ガルマ自身はあまりこの仕事に気が乗らないようだ。
ガルマ「連中はむしが好かん」
前市長のエッシェンバッハはジオンのことをよく思っていない。この度の戦争で街は荒廃してしまったし、なによりコロニー落としの非人道性は際立っている。反ジオンの勢力が地球にあっても全く不思議ではない。
他方で、開戦直後のジオンの快進撃を見てジオンに取り入ろうとする勢力もあるはずだ。冒頭の2人の男がまさにそれである。
ジオンを捨てる!?
ガルマ「大丈夫。今、連邦軍の機密を手に入れるチャンスなのです。それに成功すれば、父とて私の無理を聞き入れてくれます」
イセリナ「ガルマ様」
ガルマ「それで聞き届けてもらえねば、私もジオンを捨てよう」
ガルマが「ジオンを捨てる」と言っているところは如何にも若い。後先考えず、衝動的に行動している感じだ。
ガルマはザビ家の人間で、地球方面軍司令を拝命している。戦後の地球統治にも影響力のある人物だ。そういった人物が自分で自由に結婚相手を決められるとは考えがたい。
シャアが「(前線でラブロマンスか。ガルマらしいよ、おぼっちゃん)」と揶揄するように、自分の背負っているものの大きさを理解できていないのだ。
ガルマが何か政略目的でイセリナに近づいているという可能性もないだろう。
冒頭でガルマの姿を見て黄色い声を上げる女達がいるが、ガルマは一顧だにしない。他方、イセリナが登場したらすぐに近寄っていっている。
ここから窺えるのはガルマ一途さ、純粋さだ。ガルマは純粋にイセリナのことを思っているのだろう。
ホワイトベースとガルマの最後の戦い
ジオン兵「木馬がS3ポイントに紛れ込みました」
ガルマ「なに?」
ジオン兵「ここの最後の防衛線を突破されれば連邦軍の制空圏内に入られてしまいますが」
ガルマ「予定通りだよ、あそこに防衛ラインもある。私も機動一個中隊で現地へ向かう。シャア少佐にも伝えろ、出動だ」
ホワイトベースは連邦軍の制空圏内まであと一歩のところまで来ている。しかし、そこにはジオンの最後の防衛線があり、ガルマもそこでホワイトベースとの戦闘を想定している。ガルマとホワイトベースとの戦いはついに最終段階に入った。
無視されるアムロの進言
アムロ「ブライトさん、僕が先頭に立っておとりになりましょうか?」
ブライト「いや、それはまずい。ちょっと遅いようだ」
この回ではアムロの陽動作戦の進言はほぼほぼ無視されている。ブライトとアムロの確執が毎回のように描かれているが、おそらくこうした積み重ねが後々効いてくるのだろう。
雨天野球場!?
「雨天野球場」とはようするにドーム球場のことのようだ。
「機動戦士ガンダム」放送時(1979年)にドーム球場ってあったのかなと思って、今回ドーム球場の歴史を軽く調べてみた。
すると1965年に建設されたアストロドーム(@ヒューストン)が最初のドーム球場らしい。意外と歴史があってびっくりした。
絨毯爆撃
ガルマ「パトロールルッグン、木馬が見つからんだと?まだ街から出てはおらん、よく捜せ」
シャア「フフフ、穴に逃げ込んだネズミを燻りだすのは絨毯爆撃に限るな」
ガルマ「うん、よし、全機ローラーシフトを敷き、ただちに爆撃を開始しろ」
ガルマの絨毯爆撃にじっと待つだけのホワイトベース。第二次大戦で空襲がやむのを防空壕でただただじっと待つ民間人を想起させるシーンである。
アムロvsシャア(6戦目)
ブライト「よし、アムロ、聞こえるか?ザクが来る。ガンダムをホワイトベースの外に出せ」
アムロ「了解!」
ブライト「そしてさっきの君の戦術でいく。君がおとりになってザクと、できたら敵の本体もだが、ホワイトベースの前に来るようになんとかおびき出してくれないか?アムロ。そして、そこをホワイトベースで一気に叩く」
アムロ「了解」
シャアがザクで出撃。ホワイトベースも対抗してガンダムを出す。
結局アムロ発案の陽動作戦でいくこととなった。ガンダムとシャアザクの対決も今回で6回目である。
今回は荒廃した市街地での白兵戦である。こういう場所での戦闘はシャアに有利であろう。ガンダムとの性能差があるとしても、操縦技能ではシャアが圧倒的に上だ。数的にもザク3機に対しガンダムは1機である。
もっともアムロはホワイトベースの前にザクやガウを誘導すればいい。殲滅することまでは求められていない。
はたして?
シャア「モビルスーツめ。やるようになった」
シャアの戦い方とアムロの戦い方は全く同じでお互いに地形を利用した不意打ちを仕掛けあう展開になっている。
ガンダムの戦い方をみて「やるようになった」とほめるシャアは、余裕があるのか。
仇討ち!?
シャア「やるな、モビルスーツめ。我々をおびき出すつもりか。ということは木馬はうしろだな。(なるほどいい作戦だ。仇討ちをさせてもらう)」
ガルマ「待っていた、シャア」
シャア「モビルスーツが逃げるぞ。その先に木馬がいるはずだ、追えるか?」
ガルマ「追うさ」
ザクをおびき寄せるように逃げるガンダム。しかし、シャアはホワイトベースの作戦をすべて見抜いているし、ホワイトベースの位置も正確に把握している。
状況的にシャアがホワイトベースの位置をガウに伝えればホワイトベースは撃墜間違いなしである。
しかし、シャアは「仇討ちをさせてもらう」といって逃げるガンダムを追うようにガルマに伝達。ガウはガンダムを追ってホワイトベースに背中を見せる形になった。ガルマピンチ!
ホワイトベースが一斉射撃!
ブライト「ガンタンク、ガンキャノン、ホワイトベースの各砲座、銃撃手はおのおの照準合わせ。10秒後に一斉射撃!10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、撃てっ!」
ジオン兵「うしろから攻撃を受けました」
ガルマ「うしろだと!」
ジオン兵「も、木馬です、木馬がうしろから!」
ガルマ「上昇だ、上昇しろ!」
ジオン兵「無理です!」
ガルマ「180度回頭だ!ガ、ガウを木馬にぶつけてやる!」
全く想定していない後ろからの急襲を受けて大混乱のガルマの編隊。途中でガンダムのバズーカでザクもやられている。シャアはどこ行った?
ガルマは上昇を指示するも、エンジンがすでにやられているのであろう、上昇はかなわない。
すると即座に180度回頭を指示。ガウで特攻をかけることを決断した。
「状況的にガウは沈んでしまう、それなら最期にホワイトベースに一矢報いてやる」ということだろう。この決断の早さはなかなかのものだ。
シャアの企み
シャア「フフフフ、ガルマ、聞こえていたら君の生まれの不幸を呪うがいい」
ガルマ「なに?不幸だと?」
シャア「そう、不幸だ」
ガルマ「シャ、シャア、お前は?」
シャア「君はいい友人であったが、君の父上がいけないのだよ。フフフフ、ハハハハハ」
ガルマ「シャア、謀ったな。シャア!!」
「仇討ち」、「君の父上がいけないのだよ」というセリフから、シャアはザビ家への復讐を企んでいるようだ。どういう経緯かはまだわからないが、ザビ家への恨みがあるのだろう。
これまでシャアはガルマと士官学校時代の同期として、普通の友人として付き合っていた。
しかし、シャアはホワイトベースとの戦闘でガルマが戦死するかもしれないのに、それを助けようともしなかった。
目的のためには手段を選ばない冷徹な人間なのかと思っていたが、もちろんそういった要素もあることはあるのだろうが、中心的な要素としてはザビ家への復讐にあったようだ。
第6話のラスト、シャアの片目がきらりと光るシーンがあった。この時からシャアはホワイトベースとの戦闘でチャンスがあればガルマを死に追いやることを考えていたのだろう。
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ガルマ散る
ガルマ「私とてザビ家の男だ、無駄死にはしない!」
マーカー「敵機1機、本艦に向かってきます」
ブライト「なんだと?ま、まさか、特攻か?ミライ、上昇だ、上昇しろ。緊急上昇だ!」
ガルマ「だあーっ・・・」
ブライト「全員、伏せろーっ!!」
ガルマ「ジオン公国に栄光あれーっ!!!」
死の瀬戸際、ガルマはイセリナのことを思いながらホワイトベースに特攻を仕掛ける。
ホワイトベースを撃墜しイセリナと結婚する、それが叶わなければジオンを捨てると甘っちょろいことを言っていたが、イセリナのことは本気で好きだったようだ。
こうしたガルマのまっすぐさ・純粋さは一方では幼稚さ・未熟さといった短所とも評価しうる。ガルマのおぼっちゃん的な言動はここからくるものである。
他方で、それは人を惹きつける魅力にもつながる。
ガルマはシャアからの無線を受けるまでシャアのことを完全に信じていた。一切疑うことはなかった。こうした人を純粋に信じることができる性格はガルマの特筆すべき性質である。
また、ガルマは本当に純粋にジオンのことを思い行動していた。それは最期の言葉が「ジオン公国に栄光あれーっ!」であるところにも表れている。シャアのような腹黒さ、狡猾さとは無縁の人間なのである。
そうしたガルマの純粋で真摯な態度は「ガルマ大佐は我々を信用してくれている」、「決して裏切らない」という絶対的な安心感を部下に与えていたことだろう。
周囲の兵はその言動のおぼっちゃんぶりにヒヤヒヤしつつも「ガルマ大佐はまだ若い、われわれが盛り立てていかねば」と応援していたのではないだろうか。
しかし、シャアにはこうしたガルマの純粋さが「おぼっちゃん」に思えてしまう。それはシャアが本音を内に秘め、常に何かを企み、人を出し抜こうとしているからである。
ガルマとシャアは真逆の性格といってもよいだろう。
シャアには到底到達しえない境地にガルマは立っている。シャアにはガルマの人を惹きつける魅力が見えないのだ。
危機一髪だったホワイトベース
ガルマの特攻は結局失敗に終わった。
しかし、よくよく見てみるとガウがホワイトベースに激突しなかったのはその直前でガウの翼が折れ、急降下したからである。
ブライトは接近するガウを見てクルーに「全員伏せろー!」と指示を出す。この時点でブライトはガウとホワイトベースとの接触を覚悟していたのだろう。
ところが、次のシーンでガウの翼が折れ、ガウは空中で爆散する。
この偶然がなければホワイトベースはガウの特攻を受け撃沈していただろう。まさに危機一髪の状況だったのだ。
第10話の感想
今回はホワイトベースよりもジオン(ガルマ)がお話の中心であった。
シャアはガルマのことを繰り返し「おぼっちゃん」と言っていたが、ガルマはただのおぼっちゃんではない。ガルマがただのおぼっちゃんなら「姉上ぇー」とか「助けてー!」とか言ったりしながら無駄死にしたに違いない。
ガルマの散り際はそれなりにかっこよかった。死を悟ったガルマは「私とてザビ家の男だ、無駄死にはしない!」と自ら操縦桿を握りガウでホワイトベースに特攻を仕掛ける。
「ジオン公国に栄光あれーっ!!!」といって散っていく様は一人の軍人として実に立派である。
第5話で、シャアに助けを求めて叫ぶ無様な最期を見せるジオン兵がいたが、それと比べても立派な最期だ。
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今回、ガルマという人間について私なりにかなり考えてみたがいかがだったろうか。ガルマの評価については意見の分かれるところだろう。ぜひ読者の方々のご意見も伺いたい。
さて、ホワイトベースはガルマの追撃を逃げ切りジオンの勢力圏内を抜けた。とりあえずは一安心といったところだろう。
このまま無事連保軍参謀本部にたどり着くことはできるのか!
アムロがもう一度ガンダムに乗ろうと思った理由とは?救いの女神マチルダ~機動戦士ガンダム 第9話「翔べ!ガンダム」感想
ささくれ立っているアムロ
アムロ「サイド7を出てからこっち、ぐっすり眠ったことなんかありゃしない。そのくせ、眠ろうと思っても眠れないしさ」
フラウ「セイラさんに相談してみようか?お医者さんの卵なんでしょ?セイラさん」
アムロ「うるさいなあ!」
冒頭からささくれ立っているアムロ。満足に寝ることすらできておらず、優しく声をかけるフラウボウにすら強く当たってしまう。フラウボウが呼びに来てもベッドに寝ころんだまま。
親指の爪を噛む癖がアムロにあったのかと唐突な印象も否めないが、こうした癖は大きすぎる不安や恐怖から自分の心を守るための防御反応だ。
自分たちはおとりなのではないか、連邦軍の参謀本部は自分たちのことをとうに見捨ててしまっているのではないか、という被害妄想まで出始めている。
アムロのストレスはピークに達している。
参謀本部から無線が!!
ブライト「ホワイトベースは敵の戦線を突破して海に脱出することを望む。それだけです」
リード「助けにも来てくれないのか。おい、話はできないのか、参謀本部と!」
セイラ「無理です。ジオンの勢力圏内では暗号通信だって危険すぎます」
ブライト「将軍達はなんと思っているんだ?」
リード「現場を知らんのだ、戦場を!」
ついに参謀本部と連絡が取れた。セイラの手からメモ紙をパッと取り上げてしまう動作から、ブライトにも余裕がなくなっていることが分かる。
しかし、参謀本部からの連絡事項は「ホワイトベースは敵の戦線を突破して海に脱出すること」だけ。ブライトとリードが憤慨するのも無理はない。
参謀本部はホワイトベースのことを見捨ててしまったのではないかという空気がブリッジ内に漂う。
さきほどアムロが「僕たちはおとりだ」という被害妄想的な考えを開陳していたが、これもあながち間違っていないのではないかと思わせるシーンである。
アムロを認めているブライト
カイ「じゃあほんとのことを言うぜ。なぜアムロとリュウだけ俺達の食事より量が多いんだよ」
タムラ「ブライトさんの命令だ。二人を正規のパイロット並に扱えってな」
カイ「俺達だって戦ってるんだぞ」
タムラ「兵隊の食事のカロリーは作業量によって決められてんです!」
前回(第8話)からガンキャノンに搭乗するようになったカイだが、食事の量が少ないことに不満を呈している。アムロとリュウの食事量はブライトの命令で正規のパイロット並みの扱いとなっているようだ。
これはブライトがアムロのことを評価し、認めていることを意味している。だからこそ食事の量をパイロット並みにするようにタムラに指示しているのだ。しかし、その食事が悲劇を招いてしまう。
不幸なすれ違い
アムロ「さっきはごめん」
フラウボウ「ううん、いいのよ」
アムロ「一緒に食べよ」
避難民「いいんですか?すみませんね」
フラウボウ「アムロ、ちゃんと食べなければ駄目よ」
アムロ「だったらこんな所で食べさせるな」
フラウボウ「アムロ」
カツ、レツ、キッカからトマトをもらい少し精神的に回復したアムロ。フラウボウにも「さっきはごめん」と謝ることもできるようになった。
しかし、アムロはここで避難民の老人が子供の食事を盗み食いするところを目撃する。老人が子供の食事を盗み食いしてしまうほど、ホワイトベースでは食事を満足に支給することもできていない。まことに人の心の荒ぶこと麻のごとしである。
そんな中、アムロは誰よりも多くの食事をもらっている。そしてパイロットとしてこれを食べなければならない。
そんな環境で食事をしなければならないことに居心地の悪さを感じたアムロは、子供を不憫に思い食事を差し出し「一緒に食べよう」という。
しかし、フラウボウから「ちゃんと食べなければ駄目よ」と注意されてしまった。フラウボウは老人の盗み食いを見ていないのでアムロが子供に食事を差し出す理由が理解できないのだ。
理不尽に叱られてしまったアムロは「だったらこんな所で食べさせるな」といって何も食べずに出て行ってしまった。「『食べなければダメだ』というけれど、こんなところで気持ちよく食事なんてできるわけないじゃないか!」ということだ。
この場面、アムロもフラウボウもどちらも悪くない。間が悪かったとしか言いようがない。
ブライトがアムロを評価し食事量をパイロット並みにしている。しかし、アムロはそのブライトのメッセージに気づいていない。それどこかその食事がもとでこうした不幸なすれ違いが積み重なっていく。見ていてとても重苦しいシーンだ。
ホワイトベースを捨てる!?
リード「生き抜くだけなら簡単だよ、ブライト君。ホワイトベースを捨てりゃあいいんだ」
リードがついにホワイトベースを捨てると言い出した。艦長職にある自分が艦を捨てる発言をすることの重みをリードは当然理解しているはずだ。リードは参謀本部からの無線連絡で救援が来ないことを知って心が折れてしまったのかもしれない。
ブライトは反論するが、リードの考えは変わらない。
ここでブライトがパトロールを出すことを提案。唐突な提案だがこのパトロールの狙いはなんだろうか。これまでパトロールを出したことは一度もない。ここの展開はよくわからなかった。
アムロにパトロールを命ずるブライト。しかし、アムロは命令を拒否。
アムロ「パトロールしてわざわざこっちから仕掛けることなんてないでしょう?そうでなくたって僕はしょっちゅう戦わされてんだ、嫌ですよ」
ここまではっきり拒絶され戸惑うブライト。すかさずリュウが「アムロは疲れてるんだ。俺達もアムロをあてにしすぎる。俺とハヤトでパトロールに出よう」といってパトロールに向かう。しかし、これは問題の先送りに過ぎない。
ガルマ自ら出撃!
シャア「ガルマ、君が行くこともなかろうに。」
ガルマ「私には姉に対しての立場だってあるんだよ。家族のいない君にはわからない苦労さ。」
一方ジオン軍。ガルマ自らが出撃するようだ。相変わらずガルマの口から出てくるのは姉のことばかり。
ここで警告音が鳴り響き、パトロールをするコアファイターが捕捉される。
シャア「木馬がパトロールを出すなど初めてだ。弱点があるからこそ我々の動きを知りたがっているんじゃないのかね?」
ガルマ「なるほど。小物を相手にせず本命を叩けばいいという訳か。よし、敵のパトロールを追え」
相変わらずシャアの状況分析は的確だ。他方、やはりガルマはシャアの分析を聞いてそれにのっかっているだけ。
ブライトに殴られるアムロ
アムロ「2度もぶった。親父にもぶたれたことないのに!!」
ブライト「それが甘ったれなんだ!!殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか!!」
アムロ「もうやらないからな。誰が二度とガンダムなんかに乗ってやるものか!!」
フラウボウ「アムロ、いいかげんにしなさいよ。しっかりしてよ!情けないこと言わないで、アムロ。あっ」
ブライト「俺はブリッジに行く。アムロ、今のままだったら貴様は虫ケラだ。それだけの才能があれば貴様はシャアを越えられる奴だと思っていた。残念だよ」
アムロ「シャア?ブライトさん、ブライトさん!」
アムロを殴ったのはブライトだったのか・・・。長年、頭のどこかに引っかかってたとげがとれた気分である。
ブライトがアムロを面と向かって評価するのは初めてである。しかもその内容は「それだけの才能があればシャアを超えられる」というこれ以上ない賛辞だ。
このブライトの言葉を聞いてアムロの態度が一気に軟化する。これまでやられっぱなしだったシャアに対し「ひょっとしたら自分もシャアのようになれる」、「シャアを越えられる」と初めて意識した瞬間だ。これまで雲上人だった人が自分の手の届くところにいるかもしれない、そういう感覚だったのだろう。
フラウボウ「アムロ、ガンダムに操縦方法の手引書ってあるんでしょ?」
アムロ「えっ?」
フラウボウ「あたしガンダムに乗るわ。自分のやったことに自信を持てない人なんて嫌いよ。今日までホワイトベースを守ってきたのは俺だって言えないアムロなんて男じゃない。あたし」
アムロ「フラウ・ボゥ、ガンダムの操縦は君には無理だよ」
フラウボウ「アムロ」
アムロ「くやしいけど、僕は男なんだな」
ここで追い打ちをかけるようにフラウボウが自分がガンダムに乗ると言い出した。もちろん本気で乗るつもりではないだろうし、ブライトが許可するはずもない。あくまでもアムロの発奮を狙ったものだろう。
しかし「くやしいけど、僕は男なんだな」とまんまとガンダムに搭乗することになるアムロ。フラウボウはこのあたりのアムロのコントロールを心得ているのだろう。紆余曲折はあったがアムロはガンダムに乗ることを決意する。
なぜアムロはガンダムに乗るのか?
第1話でアムロがガンダムに乗りこんだ理由として、父親テム・レイへの反発の要素が大きいのではないかと書いた。
では、一度は「誰が二度とガンダムなんかに乗ってやるものか!」とまで言い放ったアムロが、今回ガンダムに乗ろうと決意したのはなぜか。
今回はシャアを強く意識している。アムロが初めてシャアをライバル視した瞬間といってもいいかもしれない。アムロはライバルに負けないために、ライバルに追いつき、乗り越えるためにガンダムに乗ったのだ。
それは誰かに命令されて、嫌々乗せられるのとは違う。自らの意思で「シャアに負けたくないから」ガンダムに乗るのだ。
ここまでさんざん「ガンダムにはもう乗らない」と言っていたにもかかわらず、シャアを強く意識することでガンダムに乗ることを決意してしまう。その心理は「くやしいけど、僕は男なんだな。」というアムロのセリフに凝縮されている。
まぁ今回はシャアは出撃していないのだが。
なお、このシーンで「殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか!」とか「男なんだな」といった演出が成立するのは、完全に1979年という時代だったからである。子の令和の時代に同じ演出をしたら間違いなくしらけるし、アムロは発奮することなくますますいじけてしまうだろう。
何かを企むシャア
シャア「しかし見事じゃないか、ガルマ大佐の攻撃ぶりは。親の七光りで大佐になっただけの人物ではないな」
ジオン兵「少佐、よろしいのでありますか?我々は見ているだけで」
シャア「いいだろう。援護が必要なら呼び出すと言っていたし、下手に手出しをするとプライドの高い彼のことだ、あとで怒られるしな。この距離なら無線は使えるんだろう?」
ジオン兵「はあ、ミノフスキー粒子の濃度は変わりませんが、このくらいなら音声は入るはずです」
シャア「それならいいじゃないか。私だってガルマに叱られたくないからな」
褒めているのか、けなしているのかよくわからないセリフである。
シャアは何やらコンセント(?)に細工をしながら、出撃しない理由を説明している。というよりは、ガルマの援護をしない理由を探しているといった方がしっくりくる。
「ガルマが手を出すなと言っていた」とか「必要なら呼び出すといっていた」とか「下手に手出しするとプライドの高いガルマに叱られる」などと言っているが、出撃しない理由としてはあまりにも稚拙というべきだろう。
シャア「(そうか、ガルマは乗らなかったか。彼がガンダムと戦って死ぬもよし、危うい所を私が出て救うもよしと思っていたが)」(第6話)
第6話でシャアは「ガルマがガンダムと戦って死ぬもよし」と思っている。ここでも同様だ。ガルマが撃墜されたとしてもそれならそれでよしと考えているのだろう。
ガンダム、空を翔ぶ!
ブライト「ア、アムロ。ガンダムが空中戦をやっています」
リード「なに?」
ブライト「す、すごい。無線解除だ。セイラ、ガンキャノン、ガンタンクに指令。ガンダムの着地の瞬間を狙い撃ちされないように援護をさせろ!」
ガンダムの働きぶりに感嘆するブライト。ガンダムの攻撃方法を見てすかさずガンキャノン、ガンタンクに命令を出す。
ホワイトベース、ガンダム、ガンキャノン、ガンタンクが連携してジオン軍を撃退するシーンは本当に小気味がいい。一体感・連帯感が生まれている。
ガルマの作戦
ガルマ「ガウ、聞こえるか?俺だ。モビルスーツだけを木馬から引き離す。ガウの射程距離に入ったらモビルスーツを撃ち落せ」
アムロ「逃がすものか」
ガルマ「フフフ、ガウのビーム砲の射程距離に入ったとも知らんで。ガウ、撃て、モビルスーツを。聞こえないのか?ガウ、私だ、ガルマだ!どういうことだ?こちらからは確かに発信しているはずなのに」
ガンダムのビームサーベルに片翼をやられたガルマだが、ただでは済まさない。ガンダムを引きつけガウのビーム砲で撃墜する作戦に出た。この辺の粘り強さは見上げたものである。
ガンダムはこの作戦にまんまと引っかかってしまうが、ガルマ機とガウとの通信がうまくいかず、結局作戦は失敗に終わる。
作戦失敗の裏にはシャアが施していた細工があるわけだが、ガルマは気づかない。
シャアとガルマのヒリヒリする会話
ガルマ「こんな汚れでは接触不良を起こして当たり前だろう。技師長、懲罰の覚悟をしておけ。貴様も貴様だ」
シャア「そう思うよ」
ガルマ「レーザースコープで戦いは見ていたはずだ。私の連絡がなくても手の打ちようはあったろう」
シャア「だから、ガルマのプライドを傷つけちゃ悪いと思ってな」
ガルマ「私のプライド?」
シャア「ただ見ていろと私に言っただろ?それにガルマの腕なら、あの程度の傷は難なく切り抜けてくれると信じていた」
ガルマ「・・・そりゃあそうだ」
シャア「ま、残念なことは敵の輸送機を撃墜しようとした時、ガルマの機と一直線上だったので撃てなかった・・・すまんな」
ガルマ「いや、わかればいい、シャア」
シャアが細工した結果コンセント(?)が接触不良を起こし、ガルマ機との連絡が取れなかった。そのためガンダム撃破のチャンスを逃してしまった。全部シャアのせいなのに懲罰を言い渡される技師長が不憫である。
ガルマは連絡がなくても砲撃してもらいたかったのだろう。そうなればガンダムを撃墜できたはずだし、これ以上ない大手柄。姉上にも大きな顔で報告できるというものだ。援護をしなかったシャアに対して不満タラタラである。
ところがシャアの切り返しが絶妙だった。「ガルマの腕なら、あの程度の傷は難なく切り抜けてくれると信じていた」とガルマのプライドをくすぐるようなことを言う。
「えっ!?ガルマさんほどの偉大な軍人ならあの場面でガンダムを撃退することはたやすいことですよね?まさか自分のような人間の援護がないと無理だったとか言わないですよね?」ということだ。
ガルマは「そりゃあそうだ」と返すのが精一杯。肥大化したプライドが邪魔をする。
最後の輸送機のくだりも形式的にはシャアが「すまんな」と謝り、ガルマが「わかればいい」と答えているので、シャアが非を認めたかのようなやり取りになっている。
しかし、シャアは「撃墜できなかったのはガルマのせいです」といっているのであって、実態はガルマが責められているのだ。このあたりのシャアのセリフはヒリヒリする。
連邦軍内の頼れる人
マチルダ「リード中尉以下のサラミスの乗組員、避難民の病人など35名は引き取ります。ホワイトベース、モビルスーツについてはなんの決定も知らされておりませんので現状のままです。なお、今までの戦闘記録はレビル将軍の命令によりコピーを頂きます」
ブライト「しかし、マチルダ少尉、わかりません。なぜ僕らも船も現状のままなんですか?」
マチルダ「さあ。レビル将軍はホワイトベースが現状の戦闘を続けられるのなら、正規軍と同じだと言ってました。今は連邦軍だってガタガタなのですからね。私だってレビル将軍の依頼でここまで来ただけです。参謀本部とは関係ありません」
ブライト「で、次の補給は受けられるのですか?」
マチルダ「さあ。このジオンの制空権を脱出できれば、なんとか。ともかく、連邦軍にもあなた方を見捨ててはいない人がいることを忘れないでください」
マチルダの輸送機から補給を受けるホワイトベース。リード等のサラミスのクルーや避難民の一部も引き取られ台所事情も回復。しかし、誰か連邦軍の偉い人が艦長になるのかと思ったら現状のままのようだ。
マチルダはレビルの命令でやってきた、連邦軍参謀本部とは別だという。
参謀本部といえば、この回の前半で「がんばってジオンの勢力圏内を突破してください」という何の内容もない伝言を送ってきていた。
連邦軍参謀本部はこれまで散々登場して来たダメダメな連邦軍という位置づけであろう。
対照的にレビル将軍以下マチルダ隊は、ダメダメな連邦軍の中で「できる人たち」「頼れる人たち」という位置づけだ。
レビルやマチルダはホワイトベースのためにかなり大きなリスクを冒している。ジオンの勢力圏内のホワイトベースに接触するだけでも困難を極める。現にシャアのガウに狙われていたわけで、ガルマ機がいなければ撃墜されていたであろう。
こうしたリスクを冒してでもホワイトベースの救援を考える頼れる人たちだ。
前半パートで自分たちはもう見捨てられているのではないかという嫌な空気が漂っていたホワイトベース。マチルダの「連邦軍にもあなた方を見捨ててはいない人がいることを忘れないでください」という言葉は心強い応援だろう。
救いの女神マチルダ
このシーンでマチルダに後光が差しているのは夕日が照らしているからだけではない。ホワイトベースが地球に降下して初めて接触した連邦軍クルーだ。ホワイトベースのクルーには本当に救世主に見えたことだろう。いわば救いの女神だ。
もう一つ理由を挙げるとすれば、アムロはマチルダに一目惚れしている。フラウボウが「べーっ」っと舌を出すのも含めてこのシーンは富野由悠季の一目惚れの演出なのだ。
第9話の感想
この回は何といってもブライトの鉄拳制裁と「親父にもぶたれたことないのに!」が印象的だ。「殴られもせずに一人前になった奴がどこにいるものか!!」という発言ややたら「男」を根拠にする演出にも時代を感じる。
また、食事にまつわるアムロと周囲の気遣いの不幸なすれ違いは本当に間が悪いとしか言いようがない。しかし、それが確実にアムロを追い込んでいっている。その丁寧で細かい演出は見事である。
マチルダの補給部隊との接触はホワイトベースにとってまさに僥倖だった。武器弾薬や食料も補給を受け、避難民も一部引き取ってもらえたホワイトベース。計算上はまだ50人以上は避難民がいるはずだが、身軽になったことに違いはない。
果たしてガルマの勢力圏内から脱出することはできるのか。
「ガルマ散る」とネタバレ炸裂の次回予告が気になってしまったが、重要なのは「散り際」である。ガルマとてザビ家の人間。どのような死に様を見せてくれるのか期待である。
【こぼれ話003】カイの孤立を描くアムロの視線!?〜機動戦士ガンダム第7話「コアファイター脱出せよ」感想
名前を挙げてもらえないカイ
ハヤト「心配じゃないのか?」
アムロ「何が?」
ハヤト「君の一番仲良しのフラウ・ボゥが人質にとられているんだぞ、少しは気になって」
アムロ「ハヤト、ブライトさんもミライさんもセイラさんもリュウさんもいるんだ。ホワイトベースのことは任せられると思ってるよ。僕は自分のできることをやるだけだ」
避難民が暴動を起こし、フラウボウが人質に取られたのに心配じゃないのかとハヤトに問われるアムロ。
アムロは「みんないるから大丈夫、自分は自分にできることをやるだけ」といって出撃準備に入る。
このシーンよく見ると、アムロはカイの名前をあげていない。
「ブライトさんもミライさんもセイラさんもリュウさんもいるんだ」と長々と時間をかけてクルーの名前を列挙するが、カイが入っていない。
アムロが言い忘れたという解釈もあり得ないではないだろうが、ここでの演出意図としてはやはり「カイを除外するため」というのが説得的だろう。
つまりアムロの中ではカイはホワイトベースのクルーとしては頼りない、信頼できない存在ということだ。
カイを一瞥するアムロ!?
さらにこのシーン映像で確認すると、アムロの視線が左方向に移動する瞬間がある。
最初に見たときからこの視線移動が気になっていたのだが、果たしてこの視線移動の意味は何なのか。2パターン考えてみた。
1つはブライトとミライの方を見ているパターンである。「ブライトさんもミライさんも・・・」と言っているタイミングで視線が左方向に動くのでブライトやミライの方を見ているとしても不自然ではない。
しかし、何度も見返したが、ブリッジ内の構造や人物の厳密な位置関係がよくわからなかったので、ブライトとミライの方を見ているのかは確信が持てなかった。
もう1つのパターンとしてカイの方に視線をやったのではないだろうか。カイの方にチラッと視線をやったのであれば、これまでのカイの言動にイライラしたアムロが意図的にカイを除外しているという解釈で間違いないだろう。
こちらの記事でカイが孤立し浮いた存在になっていると述べた。このシーンはそうしたカイの状況をアムロのセリフや視線で描いていると解釈できるわけだ。
どちらのパターンも可能性としてはありうると思うが、後者の解釈の方がアムロの人間性が滲み出ているようで個人的には好きである。
突きつけられる戦争の現実!!やっぱりガルマは無能だった!?~機動戦士ガンダム 第8話「戦場は荒野」感想
低空飛行のホワイトベース
冒頭いきなりホワイトベースが稜線にぶつかるシーンから始まる。
ホワイトベースが低空飛行をしていることを示す描写だ。
なぜホワイトベースが稜線にぶつかってしまうほど低空飛行をしているのかについてはのちほどシャアが説明してくれる。
アムロと両親の関係
ペルシア「コー君、あなた男の子でしょ。このくらいのことで泣かないの。ごらん、これが地球よ。ここがあなたのお父様の育った所なのよ。お父様はあなたがいくらでも威張れるような立派な方だったの」
アムロ「母親ってみんなあんなもんかな?」
フラウボウ「アムロはお母さんにずっと会ってないのよね。でも」
ペルシアとコーリーの会話を見て、母親に思いを馳せるアムロ。
アムロと父親の関係は第1話で描かれていた。アムロとテム・レイは会話もほとんどなく、淡白な親子関係だった。
では、アムロと母親の関係はどうか。アムロの母親に関する情報は第5話でわずかに出てきていた。
アムロ「母は地球にいるはずです。父はサイド7で行方不明になりました」(第5話)
続くフラウボウのセリフ「アムロはお母さんにずっと会ってないのよね。」とあわせて考えると、相当長期間アムロは母親と会ってなさそうだ。「地球にいるはず」というアムロの言い方からして安否もよくわからないのではないか。
今回の戦争によって安否不明になったのか、もともと疎遠だったのかは分からないが、アムロと母親との関係もかなり稀薄である。
そう考えると、アムロは両親ともに関係は稀薄で、孤独で機械いじりばかりしている少年だったのだろう。
面倒見がよくおせっかいやきのフラウボウがいなければ、誰とも交流することのない孤独な少年だったのではないか。
「機動戦士ガンダム」という物語は、ガンダムにのることによって自分の役割や居場所を見出したアムロが孤独からいかに脱却し人間関係を構築していくのかという物語でもあるのだろう。
ミノフスキースクリーンの上に妨害網?
シャア「木馬がなぜあんな飛び方をしていると思う?」
ガルマ「我々のレーダーから逃れる為だろ?」
シャア「違うな。ミノフスキースクリーンの上に地形を利用した強力な妨害網を引くつもりだ。こうだな。となれば、ミノフスキー粒子の効果は絶大だ」
ガルマ「どんなに強力な誘導兵器も使わせんということか」
ホワイトベースが低空飛行をしている理由をシャアが説明する。ただ、シャアが図解までしてくれているがいまいちよくわからない。
ミノフスキー粒子によってレーダーによる索敵やミサイルのレーザー誘導が困難になる。これまで何度か描かれてきたのでこれはわかる。
シャアの言う「ミノフスキースクリーンの上に地形を利用した強力な妨害網を引く」というのはどういうことだろうか。そうした強力な妨害網があれば「どんな強力な誘導兵器も使えなくなる」とはどういう理屈なのかいまいちよくわからなかった。
とにかく、山脈の間を低空飛行しながらミノフスキー粒子をまき散らせば攻撃しにくい=ホワイトベース有利な地形ということだろう。
なので、シャアは有利な地形で待ち伏せしようと提案する。
ブライトの作戦
ブライト「これが我々のいるグレートキャニオンだ。ホワイトベースの現在位置はここだ。そして、敵はおそらくこのミッド湖あたりに戦力を結集してくるだろう。ここが我々の最も不利な地点だからだ。ガンダムの働き如何で我々の運命が決まる」
こちらもブライトが図解してくれている。
ホワイトベースの現在地は左右に山脈が走っており、シャアの言う「妨害網」が有効な地形だ。
他方、ミッド湖付近は開けた平地だ。ここでは「妨害網」が機能しないので、ジオン軍が襲撃を仕掛けるとすればこの地点だとブライトは読んでいる。
シャアの作戦を完全に見抜いているブライト。今回は冴える。
しかし、作戦を見抜いたからといってホワイトベースが危機的状況にあることに変わりはない。ここをどう切り抜けるのか。
ここでブライトが「ジオンに一時休戦を持ち掛けて避難民を降ろす」ことを提案。ここからブライトの作戦の内容が徐々に描かれる。
なお、ブライトのいう「グレートキャニオン」が「グランドキャニオン」のことだとすれば、ホワイトベースの現在地は北アメリカ大陸ということになる。徐々に物語の状況が見えてきた。
やはりガルマは無能か?
ガルマ「どう思う?シャア。避難民を降ろしたいからという休戦理由は?」
シャア「気に入りませんな。しかし・・・」
ガルマ「ん?」
シャア「敵がどういうつもりか知らんが、こちらも時間が稼げる」
ガルマ「それで?」
シャア「足の遅い陸上兵器を今の内に補強すれば」
ガルマ「我々の勝利の確率は高くなる訳か。よし」
シャア「(どうもお坊ちゃん育ちが身に染み込みすぎる。甘いな)」・・・
シャア「(これで勝てねば貴様は無能だ)」
ホワイトベースからの休戦提案について検討するシャアとガルマ。ただ考えているのはもっぱらシャアで、ガルマはシャアに「どう思う?」とか「それで?」と丸投げ状態。
「地球方面軍司令官ガルマ・ザビ大佐」を拝命してる以上、この軍隊の司令官はガルマである。それがシャアにおんぶにだっこの状態だ。シャアが「お坊ちゃん育ち」「甘い」「無能」などと毒づくのも無理はない。
第6話では、ガウ攻撃空母で陣頭指揮を執っていたガルマ。作戦自体は失敗に終わったが、ガンダムを「今度の大戦の戦略を大きく塗り替える戦力だ。」と正確に分析している。部下からも疎まれているような描写もない。ここからガルマはいわゆる「お坊ちゃんキャラ」とは一線を画す人物なのではないかと分析した。
しかし、第7話ではコアファイターの射出の目的を即座に見抜いて出撃するシャアとは対照的に、ガルマはその様子をほぼ見ているだけだった。
今回も前回と同様シャアが主導権を握っており、ガルマはシャアの分析・判断に従っているだけだ。
比較対象がシャアになってしまっている点は可哀そうではある。しかし、それでも前回(第7話)と今回の体たらくでは、ガルマの実力はさほど評価できるようなものではなさそうだ。
そうであれば部下から「ガルマに任せていたら勝てる戦も勝てない」とか「実力もないくせに偉そうに命令しやがって」などと疎まれていてもよさそうである。むしろ、こういったお坊ちゃんキャラが登場する場合、そういった描かれ方をされるのが一般的とさえいえる。
しかし、そうした描写は相変わらず一切ない。ガルマは人心掌握の点では何か天賦の才があるのかもしれない。
なかなか本質をつかみきれない人物である。
アムロはコロニー生まれコロニー育ち
アムロ「もう引き返せませんよ。いいんですか?」
ペルシア「覚悟はできてます。どんな事があってもこの子を大地で育ててみたいんです。こんな気持ち、あなたにはわからないでしょうね」
アムロ「地球には住んだことはありませんから」
ここでアムロが地球には住んだことがないことが判明。宇宙生まれ宇宙育ちということか。サイド7に父親と住み、母親は地球。複雑な家庭環境が窺える。
付け馬
フラウボウ「ん?あれがつけ馬っていうのね。」
ガンペリーに追従してくるジオン機をみてフラウボウがいう。これまたすごい言葉が出てきた。
つき‐うま【付馬】
〘名〙 遊郭や飲み屋などで、客が代金を払えない場合、その客につき添ってその代金を取り立てにいくことを仕事としたもの。つけうま。うま。
「機動戦士ガンダム」を見ていたちびっ子たちには到底通じなかっただろう。自分も落語でしか聞いたことはない。
ジオン兵との交流
コム「機長、子供が手を振ってますよ」
バムロ「ああ」
ジオン兵に無邪気に手を振るコーリー。ニッコリして手を振り返すジオン兵。なんともなごむシーンだ。
なんでもないシーンのようだが、このシーンこそがこの回のもっとも重要なシーンだろう。その意味はのちほど述べる。
ガンペリー不時着
ジオン兵「老人4人、女2人、子供3人の計9人です」
シャア「いなかったようだな」
ガルマ「誰が?」
シャア「戦闘員を潜り込ませるつもりかと思ったのさ」
ガルマ「ははははっ、我々も監視しているんだぞ。できる訳がない」
シャア「もっともだ」
何度かシャアがおやっと疑うシーンがなんどか出てくる。しかし、すべてスルー。知恵比べはブライトに軍配だ。
セント・アンジェに向かうペルシア親子
バムロ「ん?あの親子はどこへ行くつもりだ?この先は何もないぞ」
・・・
バムロ「もういいだろう。ちょっと寄り道をするぞ」
コム「あの親子が気になるんでしょう。怒られますよ?」
バムロ「ガルマ大佐はまだお若い。俺達みたいな者の気持ちはわからんよ。よし、行くぞ」
避難民から離れるペルシア親子。その行方が気になり後を追うジオン兵。ここでジオン兵がペルシア親子の後を追ったのは、窓越しに手を振りあうという交流があったからである。わずかでも心を通わせた相手の安否が気になってしまったというなんとも人間的な描写である。
アムロには理解できないジオン兵の行動
ルッグンがペルシア親子の方へ行ったのを見て、さらにその後を追うアムロ。
アムロはジオン兵があの親子のことを殺そうとしていると考えているのだろう。アムロにしてみればジオンはこれまで殺し合いをしてきた敵だ。そう考えるのも無理はない。
アムロはビームライフルを構えてルッグンを撃墜しようとする。ところがルッグンから投下されたのは支援物資だった。それを見てアムロはジオン兵が親子を攻撃する意思がないことをようやく理解する。
「見つけなけりゃいいのに」ーアムロの葛藤
アムロ「気付いてくれるなよ・・・」
バムロ「光だ。確認するぞ。ミサイルセーフティ解除」
アムロ「くっ、発見されたか」
バムロ「連邦軍のモビルスーツか?」
アムロ「見つけなけりゃいいのに」
「見つけなけりゃいいのに」と口走ったアムロ。ペルシア親子へ支援物資を投下したジオン兵の人間性に触れ、本心では殺したくないと逡巡する。
それでもここで撃墜しなければ作戦自体が失敗してしまう可能性もある。軍事行動としては撃墜以外の選択肢はない。
ビームライフルを撃つガンダム。ルッグンに命中はしたものの致命傷には至らず、クルーは無事脱出した。アムロの内面の葛藤を表しているかのようだ。
ガンキャノン出撃!
カイが単独で出撃するのは今回が初めてである。これまでカイはガンタンクに乗ったことはあるが、ガンタンクは2人乗りで攻撃はハヤトが担っていた。
マゼラアタックの砲口がまっすぐ自分の方に向けられている。初めて味わう攻撃目標にされる恐怖である。
「俺だって、俺だって」と半べそをかきながらも攻撃するカイ。
アムロ・ハヤトはホワイトベース内での地位を確立しつつある。しかしカイはそうではない。むしろ冷笑的な態度からホワイトベース内では浮いた存在になってしまっている。
「俺だって」は「アムロやハヤトのように自分だって戦えるんだ!」というカイの心の叫びである。
今回カイがガンキャノンで出撃することはホワイトベースの中での地位を得るための通過儀礼なのだ。
恐怖のあまりがむしゃらに攻撃しまくって早々に弾切れになってしまっている点も象徴的だ。アムロと全く同じである。
今後、カイはアムロと同じように様々な困難にぶち当たりながら成長していくのだろう。そういう未来を思わせるシーンである。
ガンダム登場!
ホワイトベース後方からガンダムが登場。ブライトの作戦が決まった。
この瞬間カイが「アムロ!」と叫び、ブライトも一瞬安堵の表情を浮かべる。ガンダムが頼れる存在になっていることを示している。
アムロが「カイ!」と呼ぶシーンは先ほどのカイの「アムロ!」と対をなす。アムロとカイの心が初めて通じ合ったシーンといってもよいだろう。
やっぱり無能だったガルマ
ガルマ「・・・こ、このような失態を姉上になんと言って報告したらいいのか・・・」
シャア「挽回するチャンスはまだある。それに、我々指揮官は最前線で士気を鼓舞しなければな。次は私も行かせてもらおう」
ガルマ「た、頼む・・・」
何も出来ず茫然と佇むだけのガルマのアップに、ジオン軍壊滅の報が飛び交う。「姉上になんと報告したらいいのか」と、心配するのは自分のメンツばかり。
司令官がこんな弱音を吐いているようでは士気にかかわる。
すかさず「我々指揮官は最前線で士気を鼓舞しなければな」と言ったシャアはさすがだ。こういう時こそ指揮官としての力量が試されるのだが、ガルマはぐだぐだである。
やはりこいつは無能だった。
第8話の感想
今回は敵味方を超えた交流が随所に描かれている。
しかし、そもそも「敵」・「味方」とはなんだろうか。敵と味方を分けるものはただの偶然にすぎない。アムロやフラウボウも生まれた場所や住んでいる場所が違えばジオン公国の国民だったかもしれない。ジオン兵もまた同様である。末端の人間同士が戦闘行為を行っているが、そこに本質的な対立は何もない。
ペルシア親子とジオン兵との間で窓越しに手を振り合うというわずかながらの交流があった。こうした交流が成立するのも、末端の人間同士は本質的には何も対立していないからである。
こうしたコミュニケーションが相手も我々と同じ人間だという当たり前だが忘れてしまいがちな事実を想起させる。そしてそれが葛藤をもたらす。相手を人間だと思ってしまった瞬間に人は撃てなくなるのだ。
ペルシア親子を助けるジオン兵の人間性を目の当たりにしたアムロは、このジオン兵を撃てなくなった。第2話で、アムロが逃げるシャアたちをなかなか撃てなかったことにも通じる。
自分を見つけずそのまま過ぎ去ってくれと祈ったが、運悪くルッグンはガンダムを発見してしまう。「見つけなけりゃいいのに」というセリフはアムロの葛藤をこれ以上ないくらい的確に表現している。
今回の戦闘の舞台となったのは「荒野」だが、そこにはセント・アンジェという街があり人々の生活や営みがあった。それがわずか1年で様変わりしてしまった。
去り際、振り返りながらここがセント・アンジェのあった場所だと言うジオン兵の胸中はどのようなものだろうか。ペルシア親子の故郷を破壊し荒野に変えたのはほかならぬ戦争であり末端の兵士の自分たちである。
懺悔の気持ちもあるだろう。他方、それでも末端の兵士としてやるべきことはやらねばならない、戦争とはそういうものだという割り切りの気持ちもあるはずだ。諦めといったほうが近いかもしれない。
この回でまざまざと見せつけられるのは戦争のリアルである。敵・味方の二元的な思考では到底片付けられない複雑な人間模様が描かれている。
アニメを見ているだけでもつらいと思う場面もある。自分が当事者になることがあればどれほど苦悩するだろうか。
さて、次回はガルマ自ら出撃するようだ。初登場から私の中でガルマの評価は下がりっぱなしである。そろそろザビ家の一員としての矜持を示してもらいたいものだ。