ガンダムシリーズ全部観るブログ

ガンダムシリーズを見たことない「ごまさば将軍」が1話ずつ観賞して感想を書きます。

「今は戦争なんだ!」仲間を選ぶか母を選ぶか?~機動戦士ガンダム 第13話「再会、母よ・・・」感想

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再会、母よ・・・

まさかの水着回

セイラ「太陽の光が一ヶ所から来るってわざとらしいわね」
ミライ「でも、これが自然というものなのね」
セイラ「そうね。宇宙の広がりというのはこういうことを言うのよね、きっと」

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セイラとミライの水着姿から始まる。まさかの水着回だ。2人の後ろのバッグにサンオイルが入っているところに制作者のちょっとした遊び心を窺わせるようで面白い。

セイラのサングラスはティアドロップ型でシャアのしているサングラスと同じデザインだ。さりげない描写だが、2人のつながりを示す演出である。

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そのセイラとミライが日光浴をしながら「太陽の光が一ヶ所から来るのがわざとらしい」と話している。これはどういうことか。その謎を解明するヒントはコロニーの形状にある。

機動戦士ガンダムの世界で採用されているコロニーはシリンダー型のものである。

ja.m.wikipedia.org

シリンダー型のコロニーでは、3枚の鏡がコロニー内部に太陽光を反射し日照量を調節する。コロニーに住む者にとっては、3つの鏡によって反射された光こそが太陽光であり、地球のように一方向から来る太陽は物珍しさを感じるようだ。

前回(第12話)の雷に対する反応然り、宇宙で暮らす人々の認識がさりげなく表現されることで、地球しか知らない我々に宇宙での暮らしを想像させる。

アムロはエリート族か?

カイ「ヘッ、裏切られたな。奴もエリート族かよ」
ミライ「地球に住んでる人がみんなエリートじゃないわ。現にアムロのお父さんは宇宙暮らしで、アムロはお母さんとはほとんど暮らしたことがないのよ」
カイ「地球に家があるだけでもエリートさ」

アムロは地球出身だったようだ。とすると、第8話のこの会話が引っかかる。

アムロ「もう引き返せませんよ。いいんですか?」
ペルシア「覚悟はできてます。どんな事があってもこの子を大地で育ててみたいんです。こんな気持ち、あなたにはわからないでしょうね」
アムロ「地球には住んだことはありませんから」(第8話)

設定が変わったとか単純ミスとかでないとすれば、第8話の時点でアムロはペルシアに嘘をついたということになる。

なぜ、ここでそんな嘘をつく必要があったのか。この点についてはまた別の機会に考えてみたい。

さて、「地球に住む者=エリート」という構図はここまで繰り返し示されてきた。

ブライト「宇宙に出たの」
セイラ「え?」
ブライト「初めてなんですよ」
セイラ「エリートでらっしゃったのね」(第3話)

前回(第12話)のギレンの演説でも「一握りのエリートが・・・」というくだりがあった。

ギレン「一握りのエリートが宇宙にまで膨れ上がった地球連邦を支配して五十余年、宇宙に住む我々が自由を要求して何度連邦に踏みにじられたかを思いおこすがいい。」(第12話)

カイはからかい半分に「地球に家があるだけでもエリートさ」といっている。

強制的に宇宙へ移住させられた人々がいる一方で、アムロの一家は宇宙で生活するか地球で生活するかを選べる状況にあった。

テム・レイ連邦軍極秘のV作戦にも関与し、ガンダムを開発した人物である。普通に考えてエリート一家といってよいだろう。

また、今回アムロの生家が登場するが、そこには大きめの暖炉があったり、お皿や壺が飾られていたり、複数の絵画が掛けられていたり、ハンティングトロフィがあったりといかにもお金持ちといった雰囲気が漂う内装となっている。

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アムロ一家はエリート一家でかなり暮らしぶりもよかったと考えられる。

テム「アムロと離れるのが嫌ならお前も来ればいいんだ」
カマリア「でも、宇宙に出るのは・・・」
テム「サイドの建設を見てごらん。そりゃ素晴らしいもんだよ。アムロに見せておきたいんだ」
カマリア「それはわかりますが、でもあたくしは・・・ごめんね、アムロ。私は宇宙の暮らしって馴染めなくって」

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人形の視点からアムロの一家を描いている。見たところこのときのアムロは4~5歳だろうか。

現在のアムロの正確な年齢は不明だが、おそらくは10年ほど母親と離れ離れの生活を送っていたのだろう。

統制を失った連邦兵

おばさん「生き残った兵隊さんは本部から見捨てられちゃってね。仲間が助けに来ないもんだからあんな風になっちまって。やだねえ、戦争って」

アムロの生家の周辺も連邦軍ジオン軍の戦闘の前線だったのだろう。しかし連邦軍は壊滅、生き残った連邦兵は本部から見捨てられた。そのため完全に統制を失っており、酒をのんだり、民間人をいじめたりと刹那的な生活を送っている。

見捨てられた軍隊はここまで荒れるのかと思わされるが、これはアムロとて無縁ではない。ホワイトベースが落ちればアムロ達も同じようになるかもしれない。

ホワイトベース連邦軍参謀本部と連絡が取れず、孤立した状態が続いている。リードも一時は「ホワイトベースを捨てよう」(第9話)と口にしてしまうくらい切羽詰まった状況だ。

死と隣り合わせの状況がいつまで続くかわからず、救援も来るかどうかわからない。この堕落した連邦兵はアムロ達の未来の姿かもしれないのだ。

老人、女性、子供ばかりの避難民

村人「ちょ、ちょっと待ってくれ」
アムロ「えっ?」
村人「あんた、軍人さんじゃろ?ここへ何しに来たか知らんがすぐにあの戦闘機を隠してくれんか?」
アムロ「なぜです?僕はただ」
村人「いやいや、あの山の向こうには敵の前線基地があってな、一日一回見回りに来るんじゃよ」
村人「それでなくても、もう敵にキャッチされたかもしれんのじゃ。用事ならそのあとでもよろしかろうが」
アムロ「わ、わかりました」

このシーンで注目すべきは、老人と女性と子供しかいないということである。

ホワイトベースの避難民も同様で、老人、けが人、幼い子供、女性しかいなかった。

若い戦える男性はすべて殺されたか、戦闘に駆り出され死んだかであろう。

母子の再会と戦争のリアル

カマリア「アムロ
アムロ「母さん!」
子供「いいなあ」

アムロと母親の再会の感動のシーンだが、このシーンに「いいなあ」と呟く子供がいる。戦争で親を失った子だろう。

単純に母と子の感動の再会のシーンにしてもいいのにこういう境遇の子供を描くのは、戦争のリアルを描こうとしているからである。

また、こうした境遇の子がいることでアムロとカマリアの再会が奇跡的な出来事であることを強調している。

ギブミーチョコレート!

ジオン兵「ん、僕、飛行機知らないかい?おじさんにだけ教えてくれないかな」
子供「知るもんか!」
ジオン兵「憎まれたもんだな。チョコレートをやるよ」
子供「いらないやい、とうちゃんとかあちゃんをかえせ!!」
ジオン兵「おーこわ。ははは、チョコレートを貰いそこなったな、坊や」

終戦後の「ギブミーチョコレート」を彷彿とさせるシーンである。

こちらの動画ではアメリ進駐軍の車両に群がる子供たちと、その子供たちに飴玉のようなお菓子を配っている米兵が映っている。

違うのは、動画では子供たちは米兵に群がるようにしてお菓子をねだっており、全く米兵に敵意を持っていないのに対して、アニメの子供はジオン兵に強烈な敵意を抱いている点である。

この場にいる人々は、ジオン軍によって大切な人を殺されてしまったというリアルな体験を有している。だからこその強烈な敵意と思われる。

アムロ、初めての発砲

接近してくるジオン兵にアムロが布団の中から発砲する。アムロが生身の人間を初めて撃ったシーンである。

その後、逃げるジオン兵に向けてアムロは一気呵成に合計8発の弾を撃ち尽くす。

第2話ではビームライフルでシャアやジオン兵に照準を合わせて撃とうとするが撃てないアムロが描かれていたが、人が変わったように撃ちまくっている。

震える手で銃をギリギリと握り続けるアムロ。自分を守るために無我夢中だったとはいえ、初めて人を撃ってしまったという現実に動揺している。

思春期の葛藤と子離れできない母親

カマリア「あ、あの人達だって子供もあるだろうに、それを鉄砲向けて撃つなんて。すさんだねえ」
アムロ「じ、じゃあ、母さんは僕がやられてもいいって言うのかい!!せ、戦争なんだよ!」
カマリア「そ、そうだけど。そうだけど人様に鉄砲を向けるなんて!」
アムロ「母さん、母さんは・・・僕を・・・愛してないの?」
カマリア「そんな、子供を愛さない母親がいるものかい!」
アムロ「嘘をつけ!」
カマリア「アムロ、私はおまえをこんな風に育てた覚えはないよ。昔のおまえに戻っておくれ」
アムロ「今は戦争なんだ!」
カマリア「なんて情けない子だろう!!」

カマリアとアムロが言い争っているが、全くかみ合っていない。

アムロは先制攻撃をしなければ自分が殺されてしまうと考え、発砲した。

しかし、カマリアは幼い頃の虫も殺せない思い出の中のアムロを目の前の現実のアムロに投影し、そのギャップに大きなショックを受けている。そして、アムロの行為を非難してしまう。

アムロは母親に自分のしていること(=相手を殺さなければ自分が殺されてしまう世界で生きること)を否定され、「母さんは僕を愛してないの?」と甘えたことを言う。

これは思春期特有の葛藤である。すなわち、親にまだまだ甘えたい、自分を肯定してほしいと思う一方、親からの干渉から自立して自分の納得する生き方をしていきたいという葛藤である。

他方、カマリアの問題性は「子離れ」ができていないことにある。カマリアはアムロの変貌ぶりを受け入れることができず、子を否定してしまう。つまり、子供の自主性を尊重することができずに、口うるさく干渉してしまうのだ。

カマリア「男手で育てたからかしら・・・あんな子じゃなかったのに。虫も殺せなかった子が・・・うぅ・・・」

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カマリアはアムロが発砲するシーンを思い出しながら「あんな子じゃなかったのに」とつぶやく。

よく見るとカマリアの回想するアムロは毛布をパッと振り払いベッドの上に立って銃を撃っている。

しかし実際にはこんなシーンはない。アムロはベッドに寝た体勢で、毛布の中から接近するジオン兵を撃った。したがって、この回想シーンのアムロはあくまでもカマリアの頭の中にあるアムロの姿である。

記憶違いをしているというよりも、「虫も殺せなかった」アムロが発砲したことがあまりにもショックで、カマリアにはこういう風に見えてしまったということだろう。

アムロの「反抗」

ブライト「あんな地方の前進基地を叩く必要がどこにあるか。カイもカイだ。テストもしていないのに敵前でガンダムをドッキングさせたりして。単なる消耗戦だぞ。今の我々には自分の首を絞めるに等しい」

ジオン軍の前進基地を攻撃するガンダム。これまでガンダムで数々の戦闘行為を行ってきたアムロだが、これまでの戦闘と決定的に違うところがある。

ジオン側はモビルスーツが1機も出撃していない点だ。今回はモビルスーツvsモビルスーツという戦闘ではなく、モビルスーツvs生身の人間という構図になっている。

ビームライフルやバルカンで攻撃し、生身のジオン兵をなぎ倒していく。ジオン兵が吹っ飛ぶ様もはっきり描かれている。巨大なモビルスーツが小さな人間を攻撃するだけの虐殺行為である。

自分のしていることを母親に肯定してほしいというアムロの心の叫びが聞こえるようだ。アムロなりの母親への反抗なのだろう。ジオン兵にとってはいい迷惑だが。

仲間を選ぶか母を選ぶか?

カマリア「嫌なのかい?」
アムロ「嫌とかじゃないんだ。あそこには仲間がいるんだ」
ブライト「お母様でいらっしゃいますね?」
カマリア「アムロがお世話になっております」
ブライト「我々こそアムロ君のおかげで命拾いをさせてもらってます」
カマリア「そ、そんな・・・」
ブライト「いや、事実です。今日の彼の活躍も目覚しいものでした」
カマリア「まあ、そうですか・・・」
ブライト「アムロ君、どうするね?我々は出発するが」
アムロ「は、はい、こ、これからもお達者で、お母さん」
ブライト「失礼いたします。お子様をお預かりします」
カマリア「・・・アムロ

このシーンの構図も実に巧みである。

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一方はホワイトベースをバックにブライトとフラウボウ。もう一方は母親と車に乗った男性が描かれている。この男性の素性は描かれていないが、状況から推測するに母親の現在の恋人あるいはそれに近い人物だろう。

ホワイトベース、フラウボウは「仲間」や「自立」の象徴であり、母親は「親の庇護」「守られた世界」の象徴である。

このシーンでアムロは母親と地球で生きていくのか、それともホワイトベースに残るのかを選ぶ岐路に立たされた。

ブライト「アムロ君、どうするね?我々は出発するが」

アムロは母に向かって敬礼し、回れ右をしてホワイトベースに向かう。ブライトと全く同じ軍隊式の行動をとることでホワイトベースに乗ることを選んだのだ。

これはアムロが親の庇護から自立しようとすることを意味する。アムロが母親とではなく、ホワイトベースの仲間と生きていくことを決意した瞬間である。

アムロの敬礼を見てカマリアは驚く。説得すれば自分と一緒に生活してくれるのではないかと思っていたのだろう。アムロが「あちら側の世界」に去って行ってしまったような感覚にとらわれたはずだ。

親から離れ自立しようとするアムロに対し、カマリアは子離れできていない。最後に泣き崩れるのもそのせいである。

第13話の感想

今回はアムロの思春期の成長を描いた回であった。

思春期とは「親に甘えたい」「依存したい」という一方で、「親から干渉されたくない」「自立したい」という相容れない葛藤の狭間で思い悩む時期である。

そうした悩みの中から人間関係を学び、成長し、大人になっていくのだ。アムロはその真っ只中にある。

思い出の我が家にやってきたアムロは、母親に会える嬉しさから思わず駆け出す。その表情は母親に会える喜びで満ちている。

他方、ジオン兵を銃で撃ったあと母親と言い争いになる場面では、親から自立して自分の考えに基づいた行動をしたいというアムロの考えがはっきりと描かれている。

親への甘えと親からの自立という思春期の葛藤を実に巧みに表現している。

その後、親への反発から、ろくに訓練もしていないガンダムの空中換装という無謀な行為に走ってしまうし、ガンダムで攻撃する価値もない敵基地を破壊しようとしてしまう。

ブライトの言う通りこれは自分の首を絞めるに等しい行為だ。

こうした危険で破滅的な行動に出てしまうのは、アムロ自身自分でもどうしたらいいかわからない不安感にとらわれており、そこから逃れようとしているためである。

いわばアムロは「盗んだバイクで走り出」してしまったのだ。

他方、敬礼をして去っていくアムロを見ながらカマリアはその場に崩れ落ち、泣き始める。

変わってしまったアムロ、あるいは変わろうと努力しているアムロを受け入れることができず、最後の最後まで子離れできなかった。

子供向けのロボットアニメなんだから、もっと単純に「アムロや、地球のために頑張っておくれ」、「ありがとう母さん!よーし、ガンダム発進!」的な物語にしてもよかったろうに、ここまで重苦しいストーリーにしたのはなぜか。

それは「機動戦士ガンダム」がアムロの成長物語だからに他ならない。

リアルな戦争を描き、その中で状況に翻弄されつつも成長していく主人公を描くことがこの物語の主題だからである。

ラストシーン、金色に輝く夕日の中をホワイトベースが飛ぶ様はとても美しく、それだけに母親の悲しみの大きさを思わせるシーンにもなっている。

今回も重厚で分析しがいのある回だった。

第8話でアムロがペルシア親子に嘘をついた点など新たな謎もでてきたし、そこについても別稿をで検討してみたい。